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最奥に暮らすといっても、二人が常時そこに閉じ込められていたのではない。付き人を伴って外に出ることも可能だった。
雨上がりの夕刻に思い立ち、二人で馬を駆けたのは何時だったか。気づいたら日は沈み、東の空に満月が浮かんでいた。
馬から下り、並んで立った二人を迎えたのが、草原を走る一陣の風、そしてその風に飛ばされる雫だった。
月光を反射させ、数百、数千の光の粒が舞う。
「ああ……」
その美しさに頬を紅潮させて興奮する弟が愛おしかった。
「まるで、遠い海で生まれる真珠が飛び散るよう」
「そうか。ならばおまえを飾るために、極上の真珠を用意させよう」
神に守られる部族には十分な財があった。
神の寵を受ける自分達の願いが叶えられないことはない。
定期的に部族を訪れる隊商に依頼をして半年、用意をされたのは粒ぞろいの真珠が幾重にも連なる首飾り。
虹の煌めきを持つ珠は、金の髪の弟の美貌を際立たせた。
事実、毎夜彼に抱かれる弟は、日ごとに艶を、美しさを増していっていた。
まるで南国の月の下だけで咲く、大輪の白い花のように香しき芳香さえその身に湛え、その蜜は滴らんばかりになり。
二人が十八歳を迎える前夜、彼は完全に熟れた。
十八歳になる朝。
それが二人共に過ごす最後の時だった。
互いに禊ぎを行い、清められた衣に袖を通す。
「私は、貴方が下さったこれを持って参ります」
白絹の衣を纏った弟は、真珠の首飾りを身につけ、彼に向かって微笑んだ。
誰よりも近しく、愛しい夫。
それは今日、この手を離れゆく。
全てはこの時のため。
今生、二人相まみえることは二度とない。それでもこの繋がりは永遠だ。
だから互いに涙は流さない。
「代わりに私は貴方に幾万もの珠を贈りましょう。二人で見たあの草原で、秋の最も美しい満月の日に」
そう言い残し金の髪の弟は、二人で過ごした神殿の最奥の更なる奥、我らに恵みをもたらす神の坐す石の扉の向こうへ消えた。
そして己はこの地上へ。この身と繋がる弟から与えられる神の恵みを宿す子を増やすため、幾人もの側室を迎え、部族の繁栄を願う。
※
ふわりと、南国の花の香りが鼻をくすぐった。
それが合図だった。
ざああ……っと、音を立てて風が走り。
無数の光の珠が夜空に舞った。
その光景を瞳に映し、あの時は出なかった涙が零れる。
ああ、弟よ、愛しき夫よ。
部族を、故郷を愛している。
それでも私はおまえの手を引き、ここから逃げだしたかった。
おまえの柔らかく温かな肌を手放したくはなかった。
一生を共にしたかった。
神よ。
貴方の寵がまこと我らの上にあるのならば、ただ一つの願いを叶え給え。
いずれの時か、我が愛しき魂の半身と添い遂げられん生を。
草原を吹く風に、光の珠はまだ舞っている。
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三十七
しら露に 風の吹きしく 秋の野は
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
文屋朝康
(葉の上に光る露の玉に、風がしきりに吹き付ける秋の野原は、まるでとめている紐が切れた玉が散り散りに飛んでいくようだったよ)
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