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番外編 ナチュラルヒストリエの思い出
猫塚さんは、其の報せを聞いた時、呆然としてしまいました。
何故って、猫塚さんが、大好きで大好きで、堪らなくって、いっつも大きな街に出たら寄る、素敵な雑貨屋さんが、無くなってしまったからです。
世界中がしいんとして、音が聞こえません。
スマホを辛うじて肉球でぽちぽちして、閉じます。
猫塚さんは震える前脚をもう一方の脚で優しく押さえて、瞼をゆっくり、閉じました。
今でもありありと、あの夢の様な素敵な雑貨屋さんの店内を、思い出せます。
あすこの硝子棚には、極小の鉱物世界を閉じ込めた実験壜が。
木の実や花、珊瑚に雲丹の化石。
鉱物育成キット。
硝子ペンに様々な色の洋墨。
万華鏡。昆虫や蝶々の標本。
雄々しい巻角の頭蓋骨。
溶接して作る、鉱石ラヂヲ。
あすこは、季節毎に展示が変わり、博物学から宇宙、深海に至る迄、凡ゆる書籍が並びます。
真珠色に輝く、貝殻細工のエトワール。
ベルベットの絨毯が広がり、漆黒のドレスを纏った令嬢の如き店員さんが速やかに、されど此の静謐さを壊さぬ様に。真逆の、絹を思わせる手袋で、此の世界を、店内を案内してくれた。
あの、時。瞬間を。
猫塚さんは、はっきりと感じていました。髭がピンと張り、より一層、あの世界が降り注ぐ様に、猫塚さんは心の中で訴えるよう、祈ります。
余りにも突然の報せでしたので、猫塚さんはまだ此の世界の何処かに、あの素晴らしい一角が、在るんぢゃないかと、思えてなりません。
でも、もう、あの雑貨屋さんで、猫塚さんがきらきらした鉱物を買う事は、無いのです。
世界から、あの雑貨屋さんは消失してしまったのですから。本当に、夢の様に。掻き消えて、しまったのです。
猫塚さんは、もうほんの瞬きの間でしたが、永遠の様に感じていました。
どれくらい経ったでしょうか。
猫塚さんは漸く、瞼を開けて、其の、星の光を、みんな蒐めた宝石みたいな睛で、前を見据えました。
でも、矢っ張り。
心にはぽっかりと、穴が開いてしまったのでした。
其処は、素敵な雑貨屋さんの一角が、在った場処です。猫塚さんは思います。
(其れは勿論、無くにゃったにょは悲しくって、とっても寂しいにゃ)
(だって、あの雑貨屋さんを訪れた時の、わくわくしたスキは、ホンモノだったからにゃ)
(だから)
(だから猫塚は、此のスキを、前よりずうっと大切にするにゃ)
(猫塚の心に在る、あの雑貨屋さんから貰った世界は、誰にも壊せにゃいから)
(猫塚は、きっときっと、此のスキと一緒に生きて行くにゃ)
でも、だからと言って真っ直ぐ、前向きになる必要はありません。
猫塚さんは、やわやわな肉球で、とぽとぽ珈琲を淹れます。今日ばっかりは自分の為でも、お客様の為でも、ありません。あの、雑貨屋さんの為に。丁寧に、丁寧に、特段美味しい珈琲を淹れました。
猫塚さんは多分、ちょっとの間、幽霊みたいに透き通っているかもしれません。
金剛石の輝きが乱反射した時みたいな、入り組んだ心。
(雑貨屋さん、猫塚は大丈夫にゃ)
(だから)
(だから矢っ張り、ありがとうございました、にゃ)
沢山の出逢い。
沢山の記憶。
其れ等が思い出に変わる迄。
(猫塚は取り敢えず、毎日を生きてみるにゃあ)
雑貨屋さんでお迎えした美しい物達が、猫塚さんの部屋で、きらきらと、優しく微笑み掛けました。
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