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新緑の木陰
世界の何処かの午后で、またひとつ、扉が開きました。真鍮のドアノブがくるりと回ります。
猫塚さんは、群青色のベストを清潔に着こなして、銀にぴかぴか光るポットでお湯を沸かしていました。
しゅんしゅんと細い口から、湯気が立ち昇ります。
ふと、先程から流れていた居心地の良い音楽が、ぴたり。止まってしまいました。
猫塚さんはゆったりした動きでカウンターキッチンから歩を進め、黒くて丸いレコォド盤をくるっと、ひっくり返します。針を落とすと、ぷつり。さあー。と、何とも言えない涼しげな美しい音色が溢れ出しました。
にゃにゃっ、お客様。
いらっしゃいませ、にゃ。
近頃は陽射しがとんと、強くにゃって来ましたにゃあ。
檸檬の薄切りと香草が入った水差しから、猫塚さんはきんきんと冷えた洋盃に、お冷やを注ぎました。
ご注文はお決まりかにゃ?
……にゃんにゃん。
承りましたにゃあ。
猫塚さんは、ささっと産地別に分けられた珈琲豆が詰められた壜を、取り出します。
ざざり、からから。
珈琲豆を手際良く挽き、粉にした後はじゃじゃん。
猫塚さんの肉球の登場です。
本日の珈琲は、やわやわ肉球ドリップ・爽やか木陰風。
アイスにすると、とってもじゅるり。
熱々、とぽとぽ淹れた濃いめの珈琲を、からんからん、氷が入ったポットにざざざっ。一気に注ぎます。
珈琲の少ない量と、氷の多め量で、味と温度を上手い具合に調節しているのです。
すると、ほら、爽やか木陰のアイス・コーヒーの出来上がりです。
お待たせ致しましたにゃ。
すうっと静かに洋盃を置く、猫塚さん。
黙々と、執筆作業に勤しむ本日のお客様。
よくよく眺めると、萬年筆がきらきら、まるで夜天の様に艶々しています。
新雪の原稿に綴られるのは、いったいどんな物語にゃにょだろう?
猫塚さんは首を傾げて、ちょっとばかし思案しました。
でも、此処はねこづかふぇ。
茹だる夏の昼下がり。
猫が見つける、とっておきの隠れ家。
そんな場処がねこづかふぇにゃにょで。
そう猫塚さんは心の中でまあるく呟いて、いつも通り、前脚を巧く使って白磁器のティーカップを、きゅっきゅっ。磨き始めました。
猫塚さんは勿論、猫です。
だけれど、どんな猫でもあって、どんな猫でもありません。
やわやわ肉球ドリップで、貴方の為に珈琲をとぽとぽ淹れる、猫なのです。
世界の何処かの午后。
此処は、誰もが訪れる事が出来る不思議なカフェ。
行き方はさまざまだけれど、ねこづかふぇはいっつも、いつも通りの世界。
しゅんしゅん。沸き立つ湯気が、透き通る硝子窓からもくもく見えた、入道雲と混じり合います。みゃあみゃあと鳴く海鳥と、陽射しにきらっと輝いて、白い水飛沫を砕く、波のさざめき。
どうやら今回は、海辺の街で開店したようですよ。
誰かのうわさ話に導かれて。
あの、いつものカウンター席へ。
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