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海月水槽
世界の何処かの午后で、本日も穏やかに、ねこづかふぇはOPENします。いつもなら、いつか何処かの扉が、ぽっかり開く筈ですが……?
猫塚さんは、よいしょっと、水出しサイフォンのお手入れを、きゅっきゅっ。しています。
ぴかぴかになった透明な硝子と、ちょっぴりの金色の金具、それに細い木組みで作られた珈琲器具は、じっくりじっくり八時間かけて、ぽとっぽとっ、と冷たい珈琲を勝手に淹れてくれるのです。
でも其処は矢っ張り、猫塚さん。
水出しサイフォン用の産地が違う、珈琲豆やら、お水やら。
こだわりがあったりしますにょにゃ。
普通のサイフォンは水出しサイフォンより、ずうっと小さくて、それはつまり、水出しサイフォンはとってもとっても大きい事を意味しました。
のっぽの、縦にゃが、にゃあ。
水出しサイフォンは猫塚さんからしてみたら、大きなのっぽの古時計よりも、のっぽなのです。
にゃにゃ、さてはて。
午后のOPEN時間を大分過ぎても、お客様は一向に現れません。猫塚さんは前脚を、器用に巧く使って、色んな物を磨きます。白磁器のティーカップ、受け皿。きゅっきゅっ。サイフォンの細い部分。沢山のちっちゃなスプーン。お砂糖壺。きゅっきゅっ。お冷やの洋盃、何杯分か。おっきな口を開けた水差し。きゅっきゅっ。
銀のポットはいつもより更に磨き掛かり、びかびかでした。
それでもお客様は来なくて、猫塚さんは、ふと、ポットの蓋をぽかっと開けて、沸き立つ泡を見つめます。
……ぷくぷく、にゃあ。
ポットの底から上昇気流に乗ったみたいに、わあーっと、きらきら光る泡の粒が、一斉に昇りました。其れは他の人が見たら「当たり前」って言うかもしれません。でも、猫塚さんには、ダイヤモンドをぱらぱらと鏤めた美しい銀世界に、見えて仕方無かったのです。それが、どうでしょう。後から後から無限に、ダイヤモンドの泡は湧いて来るのですから、其れは、猫塚さんにとって、何とも楽しくわくわくする時間なのでした。
猫塚さんは、蓋を閉めて、まだ、ぴかぴか光る睛をごしごし前脚で、にゃめにゃめします。
猫塚さんは勿論、猫です。だけれど、どんな猫でもあって、どんな猫でもありません。やわやわ肉球ドリップで、貴方の為に珈琲をとぽとぽ淹れる、猫なのです。
でも、今日は。
猫塚さんは自分の為に、珈琲をとぽとぽ淹れます。
水は勢いよく空気を含ませて。
乾いたばかりの布巾で。
ざざざら、からんからん。珈琲豆を挽いて。
丁寧に、丁寧に。
ゆっくり、じっくり。
やわやわ、ピンクの肉球で。
とぽ、とぽぽ……とぽり。
珈琲を、淹れます。
にゃ、にゃにゃ?
にゃにゃーーっ。
びびっと、髭を集中して珈琲を淹れていた猫塚さんは、辺りを見回して、びっくり仰天。
気付けば、周りは海の中。
青い青い塩水に包まれて、海月達が楽しげにふわーり、ふわり。浮いています。時たま、こぽこぽ、泡が白く光る星みたいな水面に、綺麗な音と一緒に遊んでゆきます。こぽぽ。ふわ、ふわ。
青い青い幻燈に、猫塚さんはゆったり、揺蕩います。
こんにゃ時間も、偶には良いにゃ。
猫塚さんは大きなまん丸な睛をすうっと、瞑ります。
此処はねこづかふぇ。
店主の知らない内に、ちょっぴりの魔法がきらきらする、場処。誰もが訪れる事が出来る、珈琲の薫りがにゃんだか良い匂いな不思議なカフェ。行き方は色々あるけれど、辿り着けたら海月がふわりな、海の中、だったりして。
大きく大きく、深呼吸をする、猫塚さん。
猫塚さんが、猫塚さんで在る限り。
すると、ほら。
ドアノブがくるりと回りました。
ねこづかふぇへの扉が開くのです。
いらっしゃいませにゃ。
ご注文はお決まりかにゃ?
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