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恐る恐る、彼も仰臥する女性に近付いた。医師と呼ばれているであろう防護服の人の輪をくぐり、女性の頭部側、青年の横に立つ。
妊婦は固く目を閉ざして、意識がない。
眠っていた。
否、眠らされていた。
「……昏睡されているのは、治療ですか」
「ええ。ご婦人自身の命も守る為です」
麻酔をかけながら分娩するほどの深刻な事態だと、瞼を微動だにしない女性の顔つきから察する。
「重篤なのですか」
「ええ。……この方々も、必死なのです」
穏やかに目を細めて、周りを囲む白い防護服を見遣ると、青年は少しだけ口元を歪ませる。
「このご婦人に、直接は触れることができないのです」
「伝染病、ですか」
かつて、自分が苦しむ人達に彼の手を差し伸べ、撫で、慰めることが出来なかった記憶が押し寄せる。
その間、街中の人々は収まるまで戸を閉めるしかなかった。
彼は無造作に伸びた長い髪が邪魔にならぬよう一気に後ろでくくった。
そして、懐妊している女性に顔を近付け、意識のないままの女性の手を取った。
すると青年も、同じく屈みこみ、空いた方の産婦の手のひらを自分の手のひらで包みこんだ。
自分の目的を彼ははっきりと思い出す。
医師達が黙々と、その出産に集中しーーそこに邪魔なものはなくーー処置を続ける。
そして、彼等は女性の両の手をそれぞれ握りしめる。
「あなたは、私が、こうすべきだと知っていたんですか」
ふと男は、この分娩室中に慈しみを注ぐ隣の青年に訊きたくなった。
「だから、私が目覚めて外に出た時に、出会ったんですか」
「そうですよ」
迷いのない返答が返ってくる。
「……なぜ?」
「あなたにもお力を借りたかったんですよ」
「私の?」
「ええ。……出産だけでなく、病と立ち向かうご婦人は勿論ですが、それを支えるこの方々も支えたい。
こんなにも真摯に、二つの命と対面する人々を支えなければ。
でも、さすがに一人ではね」
自分の力を過信してはいないですから、と無垢な笑顔で青年は口にすると、続ける。
「それと、これは私情なので良くないんですが」
「どんな?」
「この日を選んで生まれてくる子だと、つい親近感が沸いてしまいますね」
「……それは、何故ですか?」
「今日生まれるということは、この赤子は、僕と同じ誕生日なんですよ」
意外なほど青年は無邪気なことを言う。固くなっていた顔つきがふと綻んだ。
「今日は、何日でしたっけ」
彼は問う。
「4月8日ですよ」
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