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王子→平民/紳士攻/平凡受/同年代/女装/ドタバタ/恋愛未満/健全 ◆◆◆◆◆  普段は争い事も少なくのんびりとした雰囲気の漂っている国に、ここ最近異変が起きていた。  美容院やエステティックサロンはどこも予約がいっぱいで、庶民では手の届かないような高価なジュエリーやドレスを扱った店は早朝から満員御礼。  料理や裁縫といった家庭的な技術を教える教室は、室内に生徒が収まりきらずに廊下にまで溢れている。  最近街に美女が増えた、と、男共は喜んでいるが、女性達はどこかぴりぴりとした空気を纏っていた。  そんなおかしな状態がしばらく続いたある日。  その日は、独身女性達にとって運命の日となったのだった。 「きゃあああああああっ!!」  ダイニングの掃除をしていたシンは、玄関の方から響いた甲高い悲鳴にびくりと体を跳ねさせた。  何だ!? こんな早朝から強盗か!? ゴキブリか!?  片手にほうき、片手にちりとりを握り締めたまま、急いで悲鳴の上がった方へと向かう。  玄関扉の前に来ると、父の再婚相手である継母と、その連れ子である二人の義姉が顔を寄せあって何やら騒いでいた。 「何? 何かあったの?」  シンが声を掛けると、三人が一斉に顔を上げる。 「シン、見なさい! あんたも驚くわよ!」  意気揚々とした足取りでシンの元へと歩いて来た長女の手には、封筒とカードのようなものが握られている。皆それを見てはしゃいでいたようだ。  それを受け取ったシンは、封筒にこの国の国旗のスタンプが押してある事に気付いた。カードにも同じく。  差出人は人名ではなくこの国の名前になっていて、意味が分からず首を傾げた。 「舞踏会……招待状……?」  カードの一番上に大きく書かれた文字を読んでから、えっ、と目を見開く。  今のこの国で、舞踏会の招待状と言えば、誰もが真っ先に思い当たる事がある。 「マジで……!? 本物なの!?」 「当たり前でしょう! あぁっ、私も上手くいけばこの国のお姫様になるかもしれないのね……!」  気に入らない事があればすぐにシンを殴り付けてくる長女の手が、今は夢見る乙女のように可愛らしく顔の前で組まれている。 「やだお姉ちゃんっ、昔から私の方がモテるの忘れたの? トラヴィス王子だって男だもの、私みたいに胸が大きい方が良いに決まってるわ!」 「あぁ、自分の娘が王家に嫁ぐかもしれないなんて夢のようだわ……! こんなボロ家からもおさらばよ……!」  シンの事などそっちのけで、姉妹は私が私こそがと張り合っている。母の方は、まだ娘の結婚が決まったわけでもないのにうっとりと夢見心地だ。  女達の不毛な言い争いから視線を離し、再び手元のカードを見る。  裏返したり光にかざしてみたりするが、そもそも王家から手紙を貰った事などないので本物か偽物か判断出来るわけがなかった。  もしもこの招待状が本物ならば……。 (王子って、相当見る目が無いんだな……)  可哀想に……、と心の中で同情した。  この国には、王子が二十歳を迎えると舞踏会を開いてその参加者の中から嫁を選ぶという伝統がある。  現在の国王と王妃も、そうやって結ばれたと聞く。  現国王が王子だった頃に開かれた舞踏会では、国籍や家柄や年齢ばかりか、身長や体重にまで厳しい応募条件があったらしいが、その息子であるトラヴィス王子の為に開かれる今回の舞踏会では年齢と性別以外は全てが不問になっている。  唯一条件のついている年齢も、十六歳から五十歳までとあまりにも幅広い。  ここまで条件を緩めないと嫁候補が現れないような癖のある王子なのかというと、全然そんな事は無いのだ。  トラヴィス王子は優しく穏和な性格が評判な上に、長身でスタイルが良く容姿も美しく整っている。非の打ち所が無い。  当然、国内ばかりか世界中から舞踏会参加への応募が殺到する。  噂では、舞踏会に参加出来る確率は何万分の一、何十万分の一とも言われていた。  それを勝ち取ったのだから、継母と姉妹が浮かれるのも無理はない。  しかし……、確かに姉妹は顔は悪くないのだが、家事全般をシンに任せて自分達はぐうたらしているし、気に入らない事があればすぐに手が出るしでとても妃の素質があるとは思えない。 (ん……、待てよ……)  王子の嫁を決める為の盛大な舞踏会ならば、ご馳走も山のように振る舞われるのではないだろうか。  こんがりローストチキンとか、人間の顔より大きい蟹とか、タワーのように高く重なった苺のケーキとか。  美味しそうな料理が次から次に頭に浮かんで、シンは思わずじゅるりと涎をすすった。 「……よし! よし、みんなで舞踏会に行こう!」  天に向かって意気揚々と拳を突き上げるシンを、女達三人が冷ややかな目で見つめる。 「あんた馬鹿?」  先程まで純真な少女のように夢物語を語っていた長女が、呆れたような声でシンを蔑む。  彼女はシンの元へ詰め寄ると、“招待状”と書かれたカードをシンの手から奪い取り目前へと突き付けた。 「見なさいここ、あんたの名前なんて無いでしょ!」  姉が指差した箇所には名前が並んでいて、母と姉二人の名前が書かれている。  だが、確かにシンの名はどこにも見当たらなかった。 「……ええっ!? じゃあ俺は!?」 「あんたは留守番に決まってるでしょ! 図々しい!」 「というか、王子様の結婚相手を決める舞踏会なのに男が行くとか頭おかしくない?」 「私達が舞踏会行っている間に、家事は全部綺麗に済ませておきなさいよ!」  長女の声に追随するように、次女と母の声が飛んで来る。  気迫に満ちた女三人に凄まれ、シンは一歩二歩と後退った。  いつも、いつもそうだ……。女達が旅行を楽しんでいる時に自分は留守番で、女達が豪華で美味しい物を食べている横で自分は蒸かした芋を齧っている。  もう限界だ! この性悪女共!  ……と、心の中で思う存分吐き捨て、シンはすごすごとダイニングの掃除へと戻った。 ◆◆◆◆◆ 「はーっ、あーあーっ! うるさい女達が居なくて快適だなぁ!」  静まり返った家屋に、シンの大声が響き渡る。  今日はいよいよ舞踏会当日。  母と姉達は目が眩む程の煌びやかなドレスを身に纏い、城から迎えに来た馬車に乗って悠々と出掛けて行った。  国主催のパーティーなんてどれだけ豪華なものか想像も出来ないけれど、今頃美味しい物を食べているんだろうなと思うと憎くて仕方が無い。  シンはまな板の上のじゃがいもを叩くように切りながら、ちぇっ、と何度も舌打ちをする。 「あんなゴリラみたいな女達、王子が相手になんかするかよ!」  一際大きな声を上げた瞬間、玄関の方からガタガタッと大きな音がして体が跳ねた。  反射的に身を守る体勢を取り、嘘です、ごめんなさい、もう言いません、と何も無い空間に向かって謝り倒す。 「…………?」  しかし物音がしたのはその一回だけで、外で鳴く鈴虫の声がよく聞こえるくらいの静寂が再び戻って来た。  時計を見れば、舞踏会が終わるまでまだ大分時間がある。母と姉達が帰って来たわけではないようだ。かといって来客でもなさそうだが……。  シンはコンロの火を消し、玄関へと向かった。  扉を開き、顔だけを出して周囲を見渡すが、綺麗な夜空と風に揺られる森が目の前に広がっているばかりで人影は無い。  不思議に思いながらも扉を閉めようとすると、扉のすぐ横の地面に何かが転がっている事に気付いて驚愕する。 「えっ、人……?」  大きなリュックを背負った小柄な人が、家の前の花壇にもたれ掛かるようにぐったりと倒れていた。 ◆◆◆◆◆ 「いやぁ……、俺、行き倒れなんて初めて見たよ」 「すみません……」  家の前に倒れていたのは少年で、気を失っていたが肩を叩きながら何度か声を掛ければ直ぐに目を覚ました。  今日は昼過ぎまで雨が降っていたのでまだ地面が湿っている。  そんな所に倒れれば服にも体にも泥が付いてしまうのは当然で、家に招き入れて風呂を沸かしてやった。  彼の着ていた衣類は洗濯機に放り込み、代わりにシンの服を与えた。  風呂上がりにシンの服を着せてもらった彼は、ダイニングテーブルの椅子に座り申し訳なさそうに肩を丸めて俯いている。  湿り気を残す黒めの長い前髪が目元を完全に覆ってしまっていて、表情はよく見えない。  鼻の頭にうっすらとそばかすがあり、柔らかそうに丸みを帯びた頬の輪郭を見ると、まだ幼いなという印象が強く残る。  それにとても華奢で、もしかしたら少年ではなく少女かもしれないと疑念が湧くほどだ。 「お腹減ってない? 食べる?」  本来ならばシンの夕食になるはずだったミートソーススパゲティとマッシュポテトを彼の前に置く。  ついでにバスケットに入ったパンもそちらへ寄せた。  彼はそれをじっと見つめていたが、やがて戸惑った様子で顔を上げた。 「い……、良いんですか……。貴方のご飯なんじゃ……」 「良いよ良いよ、またすぐ作れるから」 「…………有難うございます」  目元を覆い隠していた前髪を、彼自らの手で掻き分ける。  髪の毛の下からくりくりとした大きな瞳が現れて、中性的な印象に拍車が掛かった。 「えっと……、君って男の子……だよね?」 「え……? はい……」  良かった、流石に未成年の少女と夜に二人きりは世間体が悪い。  終始緊張したように体を強ばらせていた少年だったが、食事が進むにつれて大分表情が柔らいできた。 「何であんな所に倒れてたの? 家は?」 「家は……、隣の国に……」 「へぇ、観光しに来たとか?」 「…………人魚岬って所に行きたくて……」 「あぁ、あそこね。この家の前の道を海に向かってずっと歩いて行ったら着くよ。歩きなら、あと二・三時間ってところかな。でも地元の人しか知らないような所なのに良く知ってるね」  彼はスパゲティを巻き付けたフォークをゆっくりと皿の上に起き、思い詰めたような表情で俯く。  理由は分からないが、あまり掘り下げられたくない話題らしい。 「そうだ、今日は舞踏会をやってるんだけど知ってる?」  気まずい沈黙が漂い始め、シンは大袈裟なくらいに明るい声で話題を変えた。 「あ……、はい。道中に沢山お知らせが貼ってありました」 「うちの女共はそれに行っててさ、俺も行きたかったのに招待状に名前無いから駄目とかさぁ」 「えっと……、でも、王子様のお嫁さんを決める舞踏会だと思ってたんですけど……」 「あっ、勘違いしないでよ。王子様に興味があるわけじゃなくて、舞踏会で出される料理に興味があんの! お城で出されるご飯とか、もう一生食べられる機会ないじゃん……? ローストチキンとか蟹とかケーキとか食べ放題だよ絶対……!」  行きたかったなぁ、と未練がましく呟くと、少年の様子が段々と落ち着かなくなっていく。  ちらちらと、彼が背負っていたリュックの置かれている場所に視線が向かっているようだ。 「……何? どうかした?」 「あ……、いえ……」  少年は一度顔を伏せたが、しばらくして、意を決したように視線を上げる。 「あの、僕、貴方を舞踏会に行かせてあげられると思います……」  突然の申し出に、シンはきょとんと目を丸めた。 ◆◆◆◆◆ 「えっと……? これで何すんの……?」  食事を済ませてしまうと、舞踏会に行かせてやると言う少年から、ふたつの物を用意するようにと言われた。  出来るだけ長時間燃え続ける蝋燭を三本と、それを立てる為の燭台だ。  用意するのは簡単だったが、それを一体何に使うのか検討もつかずに戸惑う。  黒魔術で、姉妹や継母に呪いをかけるのだろうか。  いくら憎くともさすがにそこまでは……。  ……まぁ、どうしてもと言うのなら止めはしないが。  自分のリュックの中を探っていた少年が、小さなマッチ箱を握り締めてシンの元へと戻って来た。 「あの、ちょっと、びっくりするかもしれないんですけど……」 「えぇ、何? 良いよ、やってみて」  予想が出来なさ過ぎて、いっそワクワクし始めた。何が起こるかも分からないまま、快諾の言葉を返す。  少年はシンの承諾を確認してからマッチ箱を開いて、中からマッチ棒を一本取り出した。  丸くなった頭の部分を、箱の側薬に擦り付けて火を灯す。 「…………!」  瞬間、体がずしりと重くなって、シンは自分の体に視線を落とした。 「え……っ、どええぇぇえっ!?」  夢でも見ているのか。  色褪せたシャツとズボンが、鮮やかなスカイブルーのカラードレスに変わっているではないか。 「えっ、な、何!? 何これ!?」  爪先まで隠れる長いスカート部分は薄く柔らかな生地が何枚も重なっていて、裾に向かうほどふわりと広がっている。  細かなグリッターが輝くスカートは、揺れる度に様々な光の模様を浮かび上がらせた。  肩はフレアスリーブに覆われ、平らな胸を隠すように胸元には大きな白い薔薇のコサージュが並んでいる。  背中の生地は腰の辺りまでぱっくりと開いていて、あまりの恥ずかしさに思わず、ひぃっ、と悲鳴を上げた。  混乱しているのはシンばかりで、少年は特に驚いた様子も見せず、三又に分かれた燭台に蝋燭を立てマッチの火を移す。 「な、何っ!? 何がどうなってんの!? 手品!? 魔法!?」 「えっと……、幻覚……かな」  詰め寄るシンに、少年は困った顔で曖昧な答えを返した。  触れられるのに、重さも感じるのに、幻覚なんて事があるのだろうか。  そう言えば何だか頭も変な感じがする。ふと窓の方を見れば、綺麗に化粧の施された顔と、丁寧に編み込まれたふわふわの髪が窓ガラスに映った。  一瞬、その女性の正体が分からなくて思わず自分の顔に触れる。ガラスに映った人物もシンと全く同じ動きをした。 「ぎゃあああ!! 気持ち悪い!!!」  伸ばしっぱなしだったパサパサの髪が、まるでサロンで手入れしてもらったかのように艶々とした手触りになっている。  突然何の前触れもなく女装をさせられて、髪の毛もこんなふわふわでいい匂いになってしまって……。男を象徴する部分が残っているのが不幸中の幸いか……。  シンは両手で顔を覆い、悲劇のヒロインよろしくよろよろとその場に崩れ落ちた。 「あ……、あの、火を消せば元に戻りますので……」  申し訳なさそうに告げられ、シンは勢い良く顔を上げる。 「そ、そうなの!? じゃあ早く消して!」 「でも、その格好なら舞踏会に行けますよ……。ちゃんと女性に見えますし……」 「いやいや無理無理! 女装して出歩くとかマジで無理!!」  全力で否定するシンに対して、少年は萎れるように肩を落とした。 「すいません……、親切にしていただいたお礼になればと思ったんですが……。そうですよね……、いくら美味しいローストチキンや蟹やケーキの為とはいえ、こんな事……」  ローストチキン、蟹、ケーキ、という少年の声に合わせて、シンの頭の中に、ぽん、ぽん、ぽん、と美味しそうな料理が並ぶ。  しかもそればかりではなく、次から次に豪勢な料理が運ばれて来る。  夕食を食べ損ねた腹の虫が、きゅるる、とか細い鳴き声を上げた。  確かに、この機会を逃せば、テーブルを埋め尽くすほどのご馳走など一生拝めないし味わえないかもしれない。  けれどだからと言って、女装姿で人前に出るなんて……。  美味しい物をたらふく食べたいという欲求と、男としてのプライドが火花を上げてぶつかり合う。 「あの……、消しますね……」  少年が火のついた蝋燭に息を吹きかけようとするのを見て、シンは思わず、待ってくれ!と叫びながら彼の足にしがみついた。
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