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白雪は、入寮したい理由を「集団生活を通してもっと自主性や社会性を学びたい」としていたが、本当にそれだけなのかとアルバートは疑っていた。
純粋無垢な白雪が嘘を吐くとは思えないが、どうしても腑に落ちないのだ。兄の勘がそう言っている。
そして、その兄の勘を決定づけるような出来事が先日起きたのだった。
「この前……、白雪の学校に様子を見に行ったんだが……」
「とうとう不法侵入を……」
「馬鹿言うな! 白雪の三者面談があったから母さんと一緒に出向いたんだ!」
王族や貴族が多く通う白雪の学校はセキュリティが厳しい。
広大な敷地は高い塀で囲まれているうえ、登下校以外の時間は三メートルはある鉄の門で出入口を塞がれている。
門が解放されている時は近くに何人もの警備員が立っており、とてもではないが不法侵入を試みる隙は無い。
生徒の身内だとしても校内には基本立入り禁止だが、三者面談や授業参観等が行われる特別な日には親族の出入りが可能になる。
それでも事前の申請と身分証明書が必要だ。この国で顔を知らない者はいない知名度を持つアルバートでさえ例外ではなかった。
その日は元々三者面談に顔を出す予定だったのだが、学校での白雪の様子を探れる絶好の機会にもなった。
白雪が寮に行きたいと言い出した本当の理由が何か分かるかもしれないと踏んだのだ。
三者面談で当の白雪よりも熱く白雪の将来について語ったアルバートは、その後白雪と別れて校門へと向かった。
母を先に車に乗せると、忘れ物をしたと適当な理由をつけてアルバートは一人で校舎内へと引き返した。
白雪は三者面談の後、友人達と談話室で待ち合わせだと言っていたので、愛弟の居場所を突き止めるのは簡単だった。
三者面談に使われた教室と同じ階にある談話室に、白雪の姿を見付ける。
高級なソファとテーブルがいくつも置かれた広い談話室は生徒達で賑わっており、特に白雪の周りには沢山の生徒が群がっていた。
男子生徒と女子生徒、合わせて七人いる。その中心で、ソファに座った白雪が明るい声を上げて笑っていた。
(白雪……)
扉の影からその様子を窺い、じんと胸が熱くなる。
兄と一緒でなければお風呂には入らないとぐずっていた弟が、つい数年前までぬいぐるみを抱いて同じベッドで寝ていた弟が……、とても、大人びて見えた。
(あぁ……、あんなに楽しそうに笑って……)
廊下を行き交う生徒や、その存在に気付いた談話室内の生徒達が、目を丸めて戸惑いの表情を見せる。
自国の王太子がこそこそと覗き見をしているのだ、驚かないわけがない。
(少し寂しいが……、弟の成長は喜ばないとな……)
家族の前で見せる笑みとは違う特別な笑顔をしっかりと脳内に焼き付けた所で、アルバートは踵を返した。
白雪を寮に入れたくない、傍から離したくないという気持ちは変わらない。……が、長くて短い学生生活を一片の悔い無く過ごしてほしいとも思う。
家に帰ったら、もう一度よく話し合おう。
駄目だ、認めない、と感情的に訴えるのでは無く、もっと冷静に白雪の気持ちを聞いてみよう。
アルバートは瞳にうっすらと浮かんだ涙の粒を指先で拭い、静かにその場から離れようとした時だった。
「これはこれは白雪姫様じゃないですか。今日も取り巻きを引き連れて優雅な事で」
談話室の中から、白雪を揶揄する嫌味ったらしい声が聞こえて、アルバートは髪の毛が乱れる程の勢いでそちらを振り返る。
先程と全く同じ体勢で扉に張り付き、中の様子を窺う。
今の今まで白雪が談笑していた友人達とは違う、アルバートが目を離した隙に現れたらしい男子生徒が白雪の目前に立っていた。
談話室にはアルバートが張り付いている扉とは別に同じような出入口がもうひとつ設けられているので、そこから入って来たのかもしれない。
王族や貴族の子息息女が多い上品な雰囲気の中で、その男子生徒は遠目から見ても異質だった。
鏡に映った美しい自分の顔を見慣れているアルバートも「まぁまぁな美形」と感じる程に綺麗な面貌をしており、背が高くスタイルも良い。
しかしその整った顔立ちとは裏腹に、シャツのボタンは鎖骨が見える所まで外されていて、首元に巻かれた学校指定のネクタイはだらしなく緩んでいる。
明らかに人為的に染められたと分かる赤と茶色のグラデーションの髪は無造作に跳ねており、耳にはいくつものピアスが光っていた。
見るからに素行の悪そうな男子生徒は、白雪の隣に座っていた友人を押し退けると、開いた隙間にどかりと腰を下ろした。
定員いっぱいのソファに無理矢理体を捩じ込んだせいで、体躯が白雪と密着している。
それだけでも「無礼者!」と言って殴り掛かりたかったが、男子生徒はあろう事か白雪の肩に腕を回し、更に近くまで抱き寄せた。
もしも今手元に拳銃があったなら、アルバートは迷わず引き金を引いていただろう。
「ちょっ、ちょっと先輩……、突然何ですか……っ、というか、姫って呼ぶのやめて下さいっていつも言ってますよね……!」
困惑したように顔を顰めた白雪が落ち着き無く何度も身じろぐ。しかしその腕からはなかなか逃れられない。
白雪の周りを取り囲んでいる友人達も、困惑した表情で顔を見合わせていた。肉食獣に捕らわれた白雪を身を呈して救い出す勇気のある者はいないようだ。
だがそれは仕方が無いのかもしれない。
周りにいる生徒達が子羊だとすれば、白雪の隣を陣取った男子生徒は獅子のような威圧感を放っている。
獅子の前に羊が飛び出せばどうなるか、火を見るよりも明らかだ。
そうやって邪魔が入らないのをいい事に、男子生徒は無遠慮に白雪の顔に鼻先を近付けた。
「お前、寮に入りたいんだって? 今更何で?」
「……っ、そんなの、先輩には関係無いじゃないですか……」
「ふうん……、もしかして、お前も寮に入れよって、俺が言ったからだったりして」
「ち、違っ、違いますよ……! 変に勘繰るのやめて下さい……!」
誰に対してもいつも穏やかな態度で接する白雪が、今は可愛らしい顔を歪ませ拒絶を顕にしている。
白雪が嫌がっているのは一目瞭然だというのに、男子生徒はあえてそれを楽しむように白雪の髪に手を触れた。
白雪はびくりと肩を跳ねさせ、可哀想なくらいに体を強ばらせる。
駄目だ、もう見ていられない、殺そう。
虚ろな目をしたアルバートが近くにあった強固な花瓶を掴もうとした瞬間。
立腹した様子の教師が談話室に入って来て、白雪に絡んでいた不良児を引き摺るようにして連れて行ってしまった。
教師の怒号から察するに、あの生徒は三者面談を放ったらかしてここに来ていたようだ。
肉食獣が居なくなると、立ち竦んでいた白雪の友人達が一斉に安堵の息を吐き次から次に白雪に声を掛けた。
四方八方から投げ掛けられる気遣いの言葉に、白雪は少しぎこちない笑みを浮かべながら「大丈夫」と返していた。
「…………と、いう訳で」
三者面談の日に見た胸糞の悪い出来事を猟師に話し終えたアルバートは、険しい顔付きのまま懐に手を入れた。
上着のインサイドポケットから手の平サイズの紙を取り出し、テーブルの上に叩き付ける。
それは何処にでもある写真用紙で、白雪にちょっかいを掛けていたあの憎たらしい男子生徒の顔が写っていた。
「銃の扱いに慣れたお前に、こいつを葬ってもらいたい」
「えぇ……」
とても国を担う王子のものとは思えない発言が飛び出す。
感情の起伏が少ない猟師でも、今回ばかりは戸惑いの声を漏らした。
「いや……、銃の扱いに慣れてるって言っても……、俺、猟師だし……。殺し屋じゃないんですけど……」
「構わない。死体はこちらでどうにかする」
そういう事では無いのだが。
アルバートの眼差しは真剣そのもので、こいつを必ず亡き者にしてやるという強い意志が伝わって来る。
国王である父の右腕として公務をこなすアルバートは、常に自国の民が幸福に生活出来るよう尽力しており、人種や肩書きで差別する事もしない誠実で知的な王太子だ。
それがどうしてか、白雪が関わると途端に知能が低下してしまう。
そのせいで、幼稚舎からの付き合いである猟師は昔からよく振り回されていた。
猟師は溜め息を吐きながら写真を手に取ると、隠し撮りされたその顔に見覚えがある事に気付いた。
「この坊ちゃん……、隣国の第三王子の……リオ王子じゃないか」
「そうらしいな」
アルバートも彼の身分は知っていたらしい。
その上で抹殺してくれと頼んで来るのだから恐ろしい事だ。
「この男も寮に入っているらしいんだ。そんな所に白雪を置いておけるものか!」
「でも、白雪が本当にこの坊ちゃんの事が嫌いならば、そんな奴のいる所に自ら行きたいなんて言うか……?」
「きっと脅されているんだ……! この男も言っていた! “寮に入れよって俺が言ったから入るんだろう”とな! その圧力と恐ろしさに白雪はどうしようも無く……、あぁっ、何て可哀想なんだ白雪……!!」
アルバートの中では益々彼が極悪非道な人格になりつつあるようだが、猟師がその考えに同意を示す事はなかった。
この城を頻繁に訪れている猟師は白雪とも良く会話をするのだが、最近は特に楽しそうに学校生活の話をしてくれていた。寮に入るのが楽しみだ、とも。
今思い返してみても、脅されて嫌々に入寮を決めた者の笑顔には見えない。
それならばまだ、兄の重すぎる愛情に嫌気が差して距離を置きたいのだと言われた方がしっくりくる。
当のアルバートにその可能性を提示すると更に手が付けられなくなるだろうから口にはしないが。
「とにかく……、脅されているのに誰にも相談出来ないでいるというのが事実なら確かに白雪が不憫だが……」
「そうだろう!? だからこうして兄である俺が脅威を取り払って……」
「証拠も無いのに殺されてたらたまったもんじゃないな……。何か心当たりは無いのか。学校での悩みを相談されたとか、特定の話題を出すと様子がおかしくなるとか」
証拠があった所で殺人の依頼を引き受けるつもりは無かったが、このままでは本物の殺し屋を雇いかねないと思い、猟師は宥めるようなゆっくりとした口調でアルバートに問い掛けた。
アルバートは腕を組み、閉じた目の上の眉を歪ませ、記憶を必死に遡り始める。
「……そう言えば、三者面談の日の夕食の時に、白雪にそれとなく尋ねたんだ。“髪が赤くて目付きがいやらしい先輩とかに虐められていないか”とな」
「それとなくでは無いが」
「すると白雪はびっくりしたような顔をして、裏返った声で“な、何もされてません……!”と言ってテーブルを叩いたんだ。すぐにいつもの白雪に戻ったが、あんなに声を荒らげて取り乱す白雪を見たのは初めてだ」
「まぁ、確かに不自然だが……、それだけじゃ何も分からないな」
そうは言ってもそれ以外の心当たりは思い付かないのか、アルバートの口からは苦しむような唸り声しか出なくなった。
こうやって考える事で「確かに自分の考え過ぎだったかもしれない」とアルバートが理解してくれれば良かったのだが、結果として、弟への愛を拗らせた兄を更なる奇行に走らせてしまう事になったのだった。
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