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「おい、今日は何をしに来たか分かっているな」
「はいはい」
いつもは気品溢れる高級なスーツに身を包んでいるアルバートが、今日はタートルネックのニットにスキニーパンツというラフな格好をしている。
貴重な休日に猟師を引き連れてアルバートが訪れたのは、つい先日白雪が入寮した学生寮だった。
白雪の通っている学校からは徒歩五分という好立地だ。
こちらも学校の敷地同様に周りを高い塀で囲まれていて、塀の向こうには、まるで城のように大きく優美な学生寮が聳え立っている。
敷地自体が広大なので寮門からは大分遠くに見えた。
寮門前には二十四時間体制で警備員が常駐しており、更に塀の中にも外にも見回りの警備員が複数人いるようだ。
警備員達は、寮門近くの木の影でこそこそと密談しているのが自国の王太子だと分かっているので特に警告をして来たりはしないが、本来ならば取り押さえられても文句は言えない程に不審だった。
「良いか。この、白雪の大好物のアップルパイに睡眠薬を入れてあるから、それで白雪を眠らせてから部屋の中をくまなく探るんだ。日記でも手紙でも何でも良い。白雪が強制されて寮に入ったという証拠を掴む」
「はいはい」
柳編みのランチバスケットを掲げながら今日の計画のおさらいをするアルバートに対して、猟師は呑気に欠伸をしながら先程と同じように適当な返事を返す。
アルバートの中で、白雪が脅されて寮に入ったという推理はほぼ確信になっているようだった。
猟師はアルバートの作戦に賛同した訳では無いが、放っておくとどこまでも突っ走ってしまう幼馴染みのストッパーとなる為にこうして同行している。
白雪と約束している時間になったので、門の前に立つ警備員に身分証明書と、事前に手続きをして貰っておいた来客証明証を提示して敷地内へと足を踏み入れた。
綺麗に手入れのされた広大な庭を眺めながら、白いクォーツサイトの石畳に導かれるがままに建物を目指す。
寮の入り口である、ステンドグラスの嵌め込まれた両開き扉の前で手を振る白雪を見付けた途端、アルバートの歩幅がぐんと大きくなった。
「お兄様、猟師さん、お忙しい中来て下さって有難うございます」
「白雪……!」
アルバートは突進するような勢いで白雪を抱き締めた後、ピクニックバスケットを地面に置いて代わりに白雪の体を抱き上げた。
溢れる喜びを抑えきれないと言わんばかりに、白雪を持ち上げたままその場でくるくると舞い始める。
「あぁっ、白雪、寂しかったぞ……! 白雪の居ない我が家はまるで太陽を失ったかのように寒々しくて薄暗くて、とても悲しい……!」
白雪が寮に移ってからまだ一週間だというのに、長年離れ離れになっていた弟とようやく再会出来たかのような喜びようだ。
「僕もお兄様に会えずに寂しい毎日を送っておりました。……でも、あの、ここで抱っこされるのは少し恥ずかしくて……」
白雪はアルバートよりも高くなった目線で落ち着き無く周囲を見回していた。
近くにいた生徒達の視線は、大袈裟過ぎる感動の再会を果たした兄弟に釘付けで、更にくすくすと笑い声が聞こえてくれば白雪の白い頬はあっという間に赤く染まっていった。
兄の方は、弟に会えた喜びで周囲の反応など何処吹く風だが。
「さぁ白雪、お兄様をお部屋に案内しておくれ」
アルバートは白雪を抱き上げたまま寮の中へと入って行った。
建物の中では先程よりもたくさんの視線が兄弟の元に集まり、白雪の赤い顔がどんどん俯いていく。
下ろしてくれ、離してくれ、という白雪の必死の懇願も、上機嫌なアルバートの耳には届いていないようだ。
猟師は白雪に深く同情しながら、入口に置き去りにされたピクニックバスケットを回収して二人の後を追った。
学生寮は完全個室なので、もちろん白雪も一人部屋だ。
部屋に入ってすぐに短い廊下があり、正面に扉がひとつ、廊下を挟むように扉がふたつ。
廊下の側面にある扉は、それぞれ浴室と洗面所へ繋がるものだ。トイレは、洗面所の更に奥に作られているようだ。
食事や洗濯は寮の方で面倒をみてもらえるのでキッチンや洗濯機は無い。
万が一にも風呂やトイレが共同だった場合は私的財産を投じてでも改装させると言っていたアルバートも安心の作りだ。
そして廊下を真っ直ぐに進んだ先にあるのが、白雪が大半の時間を過ごす事になる洋室だ。
自宅にある白雪の部屋と比べれば大分狭く感じるが、学生寮の部屋として考えると十分な広さで、防音処理もされていて快適だ。
勉強机、ベッド、テレビ、本棚、小型冷蔵庫、コーヒーテーブルを真ん中にして一人用のソファがふたつ。
それに加えてまだ整理し終わっていない段ボール箱がいくつか積まれていても、まだまだ空間に余裕がある。
壁面には折戸式の大きなクローゼットがあるので収納にも困らなさそうだ。更に日当たりも窓からの見晴らしも申し分無い。
暖かな昼の日差しが射し込む大きな窓から外を眺めていた猟師が、良い部屋じゃないか、と感心している横で、アルバートはベッドの上で静かに眠る白雪の寝顔に釘付けになっていた。
大好きなアップルパイを完食した白雪は、アルバートの作戦通りすぐに寝息を立て始めたのだ。
「あぁ……、何て美しく可愛らしい……。世界の宝だ……」
アルバートはうっとりとした表情で白雪の顔を見つめた後、ちゅっ、ちゅっ、と顔中に満遍なく口付ける。
唯一、唇にだけは触れないので、アルバートの中にも遠慮という言葉があるらしい。
「良いのか、証拠を探るんだろう」
「俺は今忙しいんだ。代わりに探してくれ」
アルバートは一瞬だけ猟師の方を振り返ると、すぐに白雪の方へと視線を戻した。
猟師はもたれかかっていた窓枠から体を離し、肩を竦める。
アルバートに部屋を探らせるとなると床板まで剥がしかねないので、白雪にとってはこれで良かったのかもしれない。
最初から家捜しなどする気の無かった猟師は、引き出しやクローゼットを開けて適当に探っている振りをする。
白雪に夢中のアルバートが、その手抜き捜索に気付く事は無い。
「おい、白雪」
突然玄関の扉が開く音がして、ほぼ同時に男の声が白雪の名を呼んだ。
この洋室の扉は閉まっていたので、来客者の姿は見えない。
勿論、向こうからも猟師やアルバートの姿は見えていないはずだ。
「居るんだろ、入るぞ」
男はそう言うと、返事が無いにも関わらず室内へと入って来た。
ばたん、と、玄関の扉が閉まる音がする。
「お、おいっ、どうする……!?」
慌てて立ち上がったアルバートが、猟師の腕に縋り付きながら小声で尋ねる。
こんなに動揺するという事は、一応は悪い事をしているという罪悪感を持っていたらしい。
どうするも何も、堂々としていれば良いじゃないか。赤の他人の部屋に忍び込んだ訳でもあるまいし。
猟師がそう答えるよりも早く、アルバートは猟師の背中を押してクローゼットの中へと詰め込んだ。アルバートも続いてその空間に身を隠す。
クローゼットの扉が閉まるのと、白雪の眠る部屋への扉が開くのはほぼ同時の事だった。
「白雪……って、おい、寝てるのか?」
わずかに開いたクローゼットのドアの隙間から、部屋の中の様子を窺う。
毛先に向かう程に赤色が濃くなっていく髪の毛、すらりとした長身とは真逆のだらしない服装、アルバートが二度と見たくないと思った顔。白雪の先輩で、名はリオ王子。
アルバートは思わず絶叫しそうになったが、寸での所で猟師がその口を手の平で塞いだ。
(な、何でアイツが……!)
口元に当てられた手を引き剥がし、背後にぴたりとくっついた猟師に向かってアルバートが目で訴える。
(何でって、遊びに来たんじゃないか)
(冗談じゃない! 白雪は今おやすみ中なんだぞ! この隙に襲われでもしたら……!)
(その時に止めれば良いだろう。二人の関係がどうなのか確かめる良い機会じゃないか)
二人はほぼ視線だけで会話を成立させる。幼馴染みの成せる技だ。
彼が白雪に悪意を抱いているのならば、例えば白雪が眠っている隙に盗みを働いたり部屋を荒らしたりするかもしれない。
ただの友人ならば黙って出て行くだろう。その際に毛布を掛けてくれたならば尚良い。
もちろん、この短時間で白雪と彼の関係を確実に見極める事は難しいかもしれないが、何らかの情報は得られるはずだ。
アルバートも一応は納得したのか、声を呑み込んで再びクローゼットの隙間に視線を向けた。
「…………」
彼は立ち尽くしたままじっと白雪の顔を眺めていたが、やがて膝を折り曲げて床に座ると、ベッドの上で頬杖をついた。
その時点でアルバートが暴れ出しそうになっているのが分かり、猟師は羽交い締めするような形でアルバートの体を押さえ付ける。
白雪の可愛い寝顔に見蕩れているのだろうか、と二人が思った矢先、少年は更に身を乗り上げ、あろう事か白雪の口元に自らの唇を押し付けた。
(…………!!!!)
(あらら)
いくら美しく可愛いとは言え、男の白雪が同性に襲われる事なんて滅多にある訳が無いとアルバートに言い聞かせていた猟師だが、今回ばかりはアルバートの勘が正しかったらしい。
白雪の身に何かあれば狂ったように暴れ出してもおかしくはないアルバートが、不思議と大人しく成り行きを窺っている。
人間、あまりにも受け入れ難い光景を目の当たりにすると思考も体も固まってしまうようだ。
「……う、ん」
やたらと長い口付けに息苦しさを感じたのか、眠っているはずの白雪が小さく声を漏らす。
続いてわずかに身動ぎすると、一息の間を置いてから跳ねるように勢い良く飛び起きた。
白雪に押しのけられた少年の体が後ろに傾き大きく揺れる。
「しぇっ、しぇんぱい……!? な、わ、何してるんれすか……!?」
ほぼ強制的に覚醒させられた形になった白雪の頭はまだ完全に動き始めていないようで、呂律が上手く回っていない。
それでもキスをされた事は理解していたらしく、手の甲で何度も口を拭っていた。
「目ぇ瞑ってたからキスしてほしいのかと思って」
「ね、寝てたんですよ……! 寝……、えっ、な、何で寝てたんだっけ……? あれ、お兄様達は……」
白雪は部屋の中を見回し、兄と猟師の姿を探す。
「俺が来た時には誰も居なかったし。お前が寝てる間に帰ったんじゃねぇの」
「そんな……」
白雪の表情が、しゅんと暗くなった。
その様子に酷く心が痛むが、今更出て行ける雰囲気でもない。アルバートと猟師は完全にタイミングを逃してしまっていた。
リオからじっと見つめ続けられ、白雪は居づらそうに視線を泳がせる。
こちらまで気まずくなってくるような沈黙がしばらく流れたが、それを打ち破ったのは意外にも白雪の方だった。
「あの……、何か用があって来たんじゃないんですか……?」
「引っ越しの片付け手伝ってやろうかと思って」
「い、今更ですかっ? もう一週間経つんですよ、ほとんど終わっちゃいましたよ……っ」
「そうみたいだな、残念。せっかく白雪姫様の恥ずかしい私物を拝めると思ったのに」
「そんなものありませんから……! それから、姫って言うのやめて下さいってば……!」
リオは、可愛い顔を歪ませて怒る白雪の頭をくちゃくちゃに撫で回してから静かに立ち上がった。
ベッドの縁に手を付き、上半身を白雪の元に寄せる。
白雪は反射的に身を引いたが、背後には壁があってそれ以上は逃れられない。
兄とはまた種類の違う美しい顔が目前に迫る。
またキスをされる、と思ったのか、白雪はぎゅっと目を閉じてその瞬間に備えた。
しかし、リオの唇は白雪の唇に触れる寸前で止まり、代わりに、ふっと、笑いの篭った息を吐き出した。
「やっぱりキスしてほしいんじゃん」
言われ、白雪は閉じていた目を今度は大きく見開く。
「あっ、違……っ! 違う! びっくりして、体が、固まっただけです……!」
「ふうん」
クローゼットの中からではリオの表情は見えないが、その鼻で笑うような一声を聞けばどんな顔をしているのかは容易に想像出来る。
リオは今度こそ完全に立ち上がると、欠伸と共に長い腕を天に突き上げて背を伸ばした。
「またキスしてほしいなら俺の部屋に来いよ。この部屋でだと、逃げ場が無くて仕方無かったんですー、って言い訳しそうだし、お前」
「な……っ、だからっ、してほしくなんて無いです……!」
「はいはい。来るなら今日中な。お前が今日来なかったら……、明日には違う奴としてるかも」
挑発的に笑みながら、白雪に選択を迫る。
「じゃあ、また後でな」
白雪が部屋に来る事を確信しているような言葉を残して、リオが部屋から出て行く。
去って行く背中に何か言おうとしたのか、白雪は口を開いたが、すぐに唇を噛んで言葉を飲み込んだ。
玄関の扉が閉まる音が響くと同時に、白雪はベッドの上に崩れるように体を横たえた。
「別に、先輩が誰としようと関係無いもん……っ。行かない……、絶対行かないから……っ」
弱々しい声で呪文のように呟く。まるで自分に言い聞かせるみたいに。
白雪は少しの間そうやってベッドの上を落ち着きなく転がっていたが、しばらくするとゆっくりと身を起こした。
扉の前に立ち、ドアノブを見つめる。
ドアノブを掴んでは離すというおかしな手の動きが、白雪の迷いを表しているようだった。
しかし、意を決したように扉を開いてからは早かった。
短い廊下を足早に歩く音が聞こえ、続いて玄関の扉が開き、すぐに閉まる。
果たして白雪はどこに向かったのか。考える必要も無かった。
「……いやぁ、参ったな。青春の一ページを見てしまった」
猟師はようやくクローゼットから抜け出ると、いつも通りの無表情のまま、白雪の出て行った扉をしみじみと見つめた。
白雪が突然寮に入りたいと言い出したのは、確かにアルバートの言う通り、リオという名の先輩が原因だったようだ。
ただ、彼に脅されて嫌々入寮したという推測は、外れていたみたいだが。
「……アルバート、生きてるか?」
猟師の肩にぐったりともたれ掛かるアルバートを覚醒させようと、慎重に身を揺する。
しかし力の抜けた体はそんな些細な振動でも崩れ落ちそうになり、肩を掴んで支え起こした。
だめだ、ぴくりとも動かない。あまりのショックで死んでしまったのかもしれない。可哀想に。
安らかに眠りたまえ。心の中で祈りを捧げながら、猟師はまだわずかに息のあるアルバートの体を引き摺るようにして部屋を出た。
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