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 ベッドの上で膝を抱え、声を殺して泣き続ける狼を呆然と見下ろしながら、何と声を掛ければ事態が好転するのかを必死に考えた。無意識に握り締めた拳に力が入る。  本当はすぐにでもこの場から逃げ出してしまいたかったが、自分が居なくなった後も狼はここで一人泣き続けるのかと思うと、胸を掻き毟られるような感情に襲われて足が動かなかった。 「さ、さっき、のは……、だって、お前が急にあんな事……」  途中まで言って、唇を噛む。  違う、そんな言い方では駄目だ。こんな事を言いたいのではない。  そこまで分かっているのに、掛けるべき言葉が全く思い浮かばない。泣いてる狼を笑顔にする術が分からない。  当然だ。出会ってから今まで、狼が泣いている所を見た事が無いのだから、どんな言動が有効かなんて分かるわけがなかった。  いつもニコニコしていて、些細な言葉でも簡単に喜んで……。そんな狼が涙を堪えられないほど深く傷付いているのだと改めて思い知り、余計に思考が鈍感になっていく。 「あの、もしもし……」  狼のすすり泣く声ばかりが静かに響き続ける部屋に、ルイスのものでも狼のものでもない声が割り込んで来た。  慌てて寝室の出入口の方を振り返れば、背が高く体格の良い男が、廊下の窓から差し込む夕陽に照らされながら立っていた。  逆光のせいで顔や服装は良く見えなかったが、銃身の長い大きな銃を両手で抱えてる事に気付きルイスは目を見開く。  真っ先に狼の事が頭に浮かび、ルイスは狼の姿を隠すようにベッドの前に立ちはだかった。 「なっ、何ですかっ」 「いや、言い争う声が聞こえたから何事かと思って。一応玄関から声は掛けたんだけど」  言いながら、ゆったりと部屋の中へと足を踏み入れる。  男の立ち位置が変わった事で影になっていた顔や服にランプの光が届き、その輪郭をはっきりと浮かび上がらせた。  体格の良さから厳つい顔を想像していたのだが、何だかおっとりとした感じの顔付きだ。  眠たそうに瞼が下がっていて、瞳孔の上半分を覆い隠している。  髪は前髪ごと後ろでひとつに結ばれており、手に持った銃と厚いベストを羽織った服装から、彼が猟師であろう事が推測出来た。  男が獣を狩る人間ならば、ますます狼に近付けるわけにはいかない。 「君……アルビノ? 珍しいね」 「あっ」  狼を庇わなければという気持ちでいっぱいで、自分の髪や瞳が堂々と晒されている事をすっかり忘れていた。  先程狼と揉み合った時にフードが脱げ落ちてしまったのだ。  ルイスは慌ててフードを手繰り寄せ、頭に被る。  しかしそうやってほんの一瞬目を離した隙に、男はルイスの背後に隠れた狼の存在に気付いてしまった。 「そっちはまさか、狼との混血? びっくりした、初めて見るよ」  びっくりした、と口では言いながら、声の抑揚は変わらないし表情ものっぺりとしたままだ。  男に無遠慮に顔を覗き込まれ、狼は怯えた様子で体を縮こませている。  猟銃を持っている大男に食ってかかるのは恐ろしかったが、震える狼を見ていると居ても立ってもいられなくて男の肩を強く掴んだ。 「お、おい、やめろよ……! 怖がってるだろ……!」 「あぁ、ごめん。珍しくてつい」  男は意外にもあっさりと己の無礼を詫び、狼との間に距離を開ける。 「ところで、何で喧嘩してたの?」 「あんたには関係ないから……!」  男が再び狼の方へ視線を向けたので、それを遮るように男の前に立ち塞がる。  ベッドの上で可哀想なくらい身を縮めていた狼が「おれが悪いの」と、震える声で呟いた。 「おれの体、おかしくなっちゃって……」 「おかしく……? 病気?」 「分かんない……。でも、胸がどきどきして、体が熱くてむずむずして……、おしっこ出る所がね、腫れて痛くなる……」  二人がルイス越しに会話を進める。  弱々しい声で体の不調を説明する狼に対して、男は、ふむ、と頷きながら腕を組んだ。 「それって発情してるんじゃない?」 「……は、発情っ?」  問い返したのはルイスだ。 「狼の発情期は冬季で、雄は雌の発情に誘発されてっていうのが本来なんだけど、その子はほとんど人間みたいだし、発情するのに時期とかはあんまり関係ないのかもね」 「で、でも、は……発情……って、アンタが言う通りなら近くに異性がいるからするもんなんだろう……? こいつがおかしくなった時、部屋にはこいつと俺しか……」 「じゃあ君に発情したんじゃない?」 「はっ!?!?」  とんでもない事を何の感情も無い表情でさらりと言われ、情けなく裏返った声が口から飛び出した。  確かに、好きだとは言われたが。ルイスと一緒にいるとドキドキするとは言われたが。 「君がマスターベーションを教えてあげたら?」 「はぁっ!?」 「あ、もしかして君も自慰とかした事ない?」 「あ、あるけど……、っ、じゃ、じゃなくて! 他人になんて、お、教えられるわけないだろ……!」 「うーん……、じゃあ、俺が教えてあげようか」  男は驚きに固まるルイスの横をすり抜けると、猟銃に取り付けられた紐を肩に掛け、よいしょ、という軽い掛け声と共に狼を抱え上げた。  たくましい腕で狼の尻と足を支え、片腕で軽々と抱いている。  狼は怯えた様子で体を強ばらせていたが、何度か優しい手つきで頭を撫でられると、引き攣っていた表情にわずかに柔らかさが戻った。  その様子を見ていたルイスは、腸が煮えくり返るような思いだった。  俺の事が好きだと言ったくせに、少し優しくされればそんなに簡単に懐くのか。そう怒鳴りつけたくなるのを必死で堪えた。 「トイレをお借りしても良いかな」  狼を抱いたまま部屋を出て行こうとする男の後を、ルイスが怒気のこもった足取りで追い掛ける。 「俺が教えるからいい……!」  狼を、半ば強引に男から奪い取った。  想像の中ではお姫様抱っこで颯爽と奪い去っていたのだが、現実、全く鍛えていない貧弱な手足では狼の軽い体にすら苦戦した。  ひと一人の体重を支えきれず前のめりになる上体を必死に起こし、狼を何とか横抱きにしたままふらふらと歩みを進める。  猟師は相変わらず色の変わらない表情でルイスの後を付いてくる。  ルイスは、きっ、と鋭く目を細め、顔だけを男の方に向けた。 「もうっ、大丈夫だから帰れよ……っ」 「いや、その状態だとトイレの扉開けられないんじゃないかなと思って」 「…………。ト、トイレの扉を開けたら帰れよ!」  狭いトイレの中へ入ると、狼を便器の上に座らせてからすぐに扉に鍵を掛けた。  普段使わない筋肉を使ったせいで両腕がぴりぴりと痺れる。  狼と向き合い、必死に平静を装うも、視線は落ち着きなく色んな所に飛んで行った。 「えっと……、じゃあ、教えてやるから、下、脱いで……」  震えそうになる声を懸命に押さえ付け、狼の行動を導く。  狼の涙は既に止まっていたものの、その表情にはまだ明るさが戻っていない。  狼は無言で俯いていていたが、しばらくしてから弱々しく首を横に振った。 「良い……。さっきの人に、教えてもらいたい……」  意を決してこんな所まで連れて来たというのに、まさか拒絶されるとは思わず呆然と立ち尽くす。  遠回しに、お前では嫌だ、と言われた事にもひどく傷付いたが、それよりも、さっきの男の方が良いと宣言された事が、頭を殴り付けられるような衝撃だった。  確かにあちらの方が体も顔も男らしいし、大人だからこその包容力や頼り甲斐があるかもしれない。  何を考えているか分からないような男だったが、言動を思い返すときっと優しい性格なのだろうと思う。  酷い事を言って傷付けてしまうルイスよりもそちらの方が魅力的に見えてしまうのは仕方が無い。  仕方が無い、と、頭では分かっているのだが、俺の事を好きだと言ったじゃないか、と責め立てる気持ちがこびり付いて離れない。  ムカムカと嫉妬の炎を燃え滾らせていると、狼が小さく鼻をすすった。 「また、赤ずきんくんに気持ち悪いって思われたら、やだ……」  煮えたぎっていた感情が急速に冷えていく。  ルイスはぐっと拳を握り、違う、と呟いた。 「お、思ってない……。気持ち悪いなんて……」 「……でも、さっき、言ったよ」 「あれは……、びっくりして、恥ずかしくて……、上手く、言えなかった……」  ごめん。  喉が詰まって囁くような小さな声しか出なかったが、正直に謝罪の言葉を伝えると、深く俯いていた狼の顔がわずかに角度を上げた。  狭い空間に再び沈黙が訪れる。気まずい空気ではあったけれど、不快感はあまり無かった。  ルイスは床に膝を付き、狼と目線を合わせた。  まだ潤みの残る目の周りや鼻の頭がほんのり赤く色付いていて、ルイス自身が原因とは分かっていても可哀想になる。  行儀良く膝の上に置かれた狼の手を、ぎこちなく握り締める。 「あ……あの……、やっぱ、俺が、教えたいん、だけ、ど……」  本当は真っ直ぐに目を見て言いたかったのだが、恥ずかしくてどうしても視線が逸れてしまった。声も上擦ってしまい、情けない。  けれど、わずかな間の後に狼がこくりと頷いてくれたので、無様な自分を少しだけ褒めてやりたくなった。 「えっと……、じゃあ……」  ルイスが恐る恐る狼のズボンと下着に手を掛けると、脱衣を手助けするみたいに狼がわずかに腰を浮かせた。  衣服をゆっくりと爪先から抜き取り、持ち主の小柄な体躯に良く似た小ぶりな性器を光の下に晒す。  時間の経過などもあり大分元気を無くしてしまっているが、まだ発情状態が続いているのか、わずかにふっくらと膨らんでいた。  その部分も、ちゃんと他の肌と同じようにココア色をしている。髪と同じ色をした陰毛はかなり密度が薄い。  イヌ科のペニスは勃起の際に根元に大きなコブが付いていると聞いた事があるが、狼の性器は完全に人間の形をしているようだ。  いくら眺めていても、嫌だとか気持ち悪いだとかいう感情は微塵も湧いてこなかった。  ルイスから向けられる視線を恥ずかしがるかのように、もふもふとした尻尾が太腿の上に覆い被さって思わず表情が緩んだ。 「いや、あの、そこ尻尾で隠されたら見えないし……」 「ごめん、つい……」  指先で軽く尻尾を押すと、素直にすごすごと去って行く。  だらりと地面に向かって垂れている様子の尾は、まるで邪魔者扱いされて拗ねている何らかの生命体のようだ。 「じゃあ、その、自分の手で、ここ握って、上下に擦ったり、先っぽを指で弄ったり……」  狼の手を掴み、ゆっくりとその場所に引き寄せる。  ルイスに言われ、狼は恐る恐るといった様子で自らの性器に手を触れた。  狼の手に自分の手を重ねたまま、動かし方を教えてやる。  最初のうちはルイスの誘導に従っていた狼だったが、段々と自分の好きな場所を見つけ始めると、ぎこちない動きながらも自身の意志で指を動かせるようになっていった。  熱い吐息と共に、快感に満ちた声が断続的に漏れる。  ……目のやり場に困る。  ルイスは天井の木目を数えたり床を睨み付けたりしてみるものの、甘い声に吸い寄せられてつい狼の方に意識が向かってしまう。 「あっ、あ……っ、赤ずきんくん……っ、ど、どうしよう……っ」 「……はっ? え、何が?」  頭上から不安げに名前を呼ばれ、いつの間にか食い入るように狼の手元を眺めていた視線を慌てて上に向ける。  羞恥と不安に揺れる瞳がこちらに助けを求めていた。 「お、おしっこ……出そう……っ」  その言葉に一瞬慌てたが、狼の手の中にある昂りは見るからに最高潮という所まで膨張していて、恐らく狼が感じているのは排尿感とは別のものではないかと判断した。 「大丈夫、多分、それ……、おしっこじゃなくて、出していいやつ、……だと思う……」 「ほんと……? でも、こ、こわいよ……。お願い、手、握ってて」  言い、空いている方の手でルイスの手をしっかりと握り締める。  ルイスの手首に巻き付いていた花の腕輪が揺れて、狼が嬉しそうに目を細めた。 「捨てないでいてくれたの……、ありがとう……、嬉しい……、はっ、あ……」  狼はルイスと手を繋いだまま、中断していた自慰を再開する。  トイレタンクにくったりと背中を預け、つい先程まで行儀良く並んでいた両足はもっと見てくれと言わんばかりに左右に大きく開かれていた。 「あっ、あ……っ、赤ずきんくん、う、好き……、好き……っ」  嬌声の合間合間に名前を呼ばれ、好意を伝えられる。  何と答えて良いのか分からず、代わりに繋いだ手に力を込めた。  自身を高みへと導く狼の手が速さを増す。  何度も小さく腰をくねらせ、吐き出されるよがり声の間隔が狭まっていく。 「あっ、あぁあ……!」  一段と大きな嬌声が上がると同時に腰が高く跳ね上がり、張り詰めた先端から絶頂の証が勢い良く弾けた。  放たれた精液は、ルイスの服ばかりか顔にまで飛沫の粒を残した。  狼は激しい息遣いを繰り返しながら、初めて迎えた極致の余韻に体を震わせている。  うっとりとした表情でルイスの方に視線を向けた狼だったが、その相好は一瞬にして驚愕の色へと塗り替えられた。 「はわ……っ、ちっ、血が出てる……!」 「…………は?」  狼に指をさされてようやく、ルイスは自分の鼻から血が流れ出している事に気付いた。  慌てて鼻を押さえるが、よく見れば衣服にポツポツと血痕が染みている。  そればかりか、股の中心が、気のせいだと言い訳出来ないほどに隆々と存在を主張していた。  男の自慰を見て鼻血を吹き出し、あまつ勃起までさせているなんて、もう、変態以外の何者でも無い。 「ど、どうしよう、やだ、死なないで……!」  狼は何故ルイスが流血しているのか分からないらしく、瞳に涙を溜めて必死にすがり付いてくる。  大丈夫だから、と制しようとした矢先、玄関から、ただいま、という声が聞こえた。 「おばあちゃん……っ! 赤ずきんくんを助けて!」  いち早く祖母の帰宅を察知した狼が、ルイスが引き止める間もなくトイレから飛び出して行く。  絶望的な事に、狼はイチモツを露出したままだ。  祖母の、きゃあっ、という恥じらいの滲んだ短い悲鳴の後に、助けを乞う狼の泣き声が響いた。  ふたつの忙しない足音が近付いて来る。  下半身丸出しの狼、飛び散った精液、鼻血を垂れ流しながら股間を膨らませているルイス。  ルイスは昔から、誰の目にもとまらないよう透明人間になれたならと空想していたものだが、一番強くそれを願った日はいつかと聞かれたら、今日、今、この瞬間で間違いないだろう。
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