高雄の父と私

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 後部座席は、広かった…  やはりというか、大物組長の乗るクルマだ…  そして、私は、不意に、林を思い出した。  私と同じく、杉崎実業に内定した林…  あの大金持ちのお嬢様の林だ…  あの林に招かれたときも、今と同じく、大きなクルマに乗った…  私は、それを思い出した…  そして、失礼ながら、今、私が乗った、このクルマよりも、林が用意したクルマの方が、大きかった…  豪華だった…  私は、それを思い出した…  「…どうしました? …お嬢さん?…」  同じく、後部座席に乗り込んだ、高雄の父親が、私に訊いた…  私は、なにか、言わなければ、ならないと考え、  「…ずいぶん大きなクルマだと思って…」  と、当たり障りのないことを、言った…  それに、こう言えば、このクルマを褒めたことになる…  誰でも、自分の持つクルマを褒められて、悪い気がする人間は、いない…  まして、相手は、ヤクザだ…  異常なまでに、面子を気にする輩(やから)だ…  だから、言ってみて、そう口にしたのが、正しいと、思った…  我ながら、そう思った…  自画自賛した…  が、高雄の父親の反応は、私が想定した反応とは、違った…  大げさに言えば、真逆だった…  「…そんなことはないですよ…お嬢さん…」  ゆっくりと、高雄の父親が言う。  「…このクルマは、大したクルマじゃありません…現に、お嬢さんも知っている、杉崎実業の内定者の林さんは、マイバッハといって、このクルマよりも、遥かに、高級です…」  私は、高雄の父親の言葉に、仰天した…  文字通り、仰天した…  まさか、高雄の父親の口から、林のことが出るとは、思わなかった…  と、同時に、気付いた…  いや、考えた…  この高雄の父親は、あの杉崎実業の内定者、全員の素性を掴んでいる…  そんな当たり前のことに、今さら気付いた…  さらに、私を驚かしたのは、  「…お嬢さんも、あのマイバッハに乗ったことがおありでしょ?…」  と、高雄の父親が、続けたことだ…  私は唖然として、つい、うっかり、隣に座る、高雄の父親の顔を見た…  高雄の父親は、にったりと、私を見て、笑った…  「…どうです? …お嬢さん…驚いたでしょ?…」  まるで、子供のように、無邪気な表情で、私に笑いかけた…  普通なら、車内とはいえ、暗闇なので、わからないが、このときばかりは、互いに、距離が近いので、わかった…  …調べている…  …調査している…  そんな当たり前のことが、わかった瞬間だった…  と、同時に、私は、どうしていいか、わからなかった…  この後、高雄の父親に、どう対応していいか、わからなかった…  思わず、高雄の父親の顔を間近に見ながら、考え込んだ…  そんな私の困った顔を見て、  「…私は、子供の頃から、手品が大好きなんです…」  と、高雄の父親が思いがけないことを、口にした…  「…手品?…」  「…そう…手品です…」  「…どういう意味ですか?…」  「…ほら、誰もが、手品を見ると、驚くでしょ? …私は、それが好きなんです…子供っぽいと、自分でも、よく思いますが、ひとを驚かすのが、好きなんです…」  私は、高雄の父親の言葉に、考え込んだ…  手品…  つまりは、この場合は、私が知らないと思っていることを、突然、言って、私の反応を見る…  当然、目の前の高雄の父親は、事前に、私の行動を読んでいる…  その上で、なにを言えば、相手が驚くか、考えて、口にする…  そんな手品師のような相手に、私はどう対応すればいいか…  どう立ち向かえば、いいか…  悩んだ…  だが、当然、答えは出ない…  私は、一瞬、考えたが、  「…このクルマの名前は、なんと言うんですか?…」  と、話題を変えた。  そうするのが、一番と思えたからだ…  私が、とっさに話題を変えたことに、高雄の父親は、面食らった様子だった…  「…キャデラックです…」  と、それでも、丁寧に答えた。  自分の娘同様の年齢の私に、真剣に怒ることはできないからに違いない…  「…どうして、キャデラックなんですか?…」  私は訊いた…  私は、あまり、クルマのことは、詳しくはない…  が、  「…普通は、ベンツとか、ロールス・ロイスじゃないんですか?…」  と、続けた。  実は、私はベンツもロールス・ロイスも違いがよくわからない…  誰もが知るクルマの名前だから、口にしたに過ぎない…  高雄の父親は、少し考え込んでから、  「…アメリカ映画の影響です…」  と、答えた…  「…アル・カポネ…マフィア…映画の中のマフィアはかっこ良かった…それに憧れたから、アメ車に乗ってます…」  高雄の父が言った。  そして、笑った…  「…まさか、お嬢さんのような年齢の女のコに、なぜ、私が、キャデラックに乗っているか、説明するとは、思わなかった…同業者には、よく聞かれますが…」  そう言って、高雄の父親は、苦笑する…  「…それに、キャデラックは被らないんです…」  「…被らない? …どういう意味ですか?…」  「…同じキャデラックを乗る人間は、あまりいない…どこの世界もそうですが、例えば、サラリーマンでも、上司が、200万円のクルマに乗ってるのに、部下が、500万のクルマに乗っていては、面子が立ちません…だから、私の地位で、私より上の人間が乗るクルマに、私が乗ることはできない…さして、高価でもなく、それでいて、誰も乗ってない…だから目立つ…このキャデラックはそんなクルマです…まさに、私向きのクルマです…」  高雄の父親は苦笑した…  が、私は、高雄の父が、今の自分自身の地位に、自慢と不満を感じてるのでは?…  そう、思った…  あるいは、なにげなく言ったに過ぎないかもしれないが、私は、そう感じた…  もっと大きなクルマに乗りたい…  だが、立場上、できない…  だから、高級車だが、それほど、高級でないクルマ…  しかし、誰よりも、目立つクルマが欲しい…  私は、高雄の父親の本心を、そう見た…  睨んだ…  深読みのし過ぎかも知れないが、考えた…  「…郷愁というものも、あるかもしれません…」  高雄の父親が続ける。  「…郷愁? …どんな郷愁ですか?…」  私の言葉に、高雄の父親が、怪訝な表情で、私を見た。  だから、  「…いえ、郷愁の意味はわかります…ただ、どんな郷愁かと思って…」  私の言葉に、高雄の父親は、ジッと私の顔を見続けた…  それから、  「…不思議なお嬢さんだ…」  と、文字通り、感嘆するように、言った…  「…不思議? …なにが、不思議なんですか?…」  「…失礼ながら、お嬢さんは、私の娘ぐらいの年齢です…しかも、今日が初対面です…にもかかわらず、こうして話していると、歳の差を感じさせないということは、ありませんが、つい、お嬢さんの質問に、真摯に答えなければならないと、思ってしまう…」  心底、不思議そうに、呟いた…  「…不思議なお嬢さんだ…」  私は、高雄の父親の反応が、以外と言うか、想定外のものだったので、どう答えていいか、わからなかった…  だから、  「…」  と、黙った…  答えなかった…  すると、  「…お嬢さんが、質問した郷愁の意味ですが…」  と、高雄の父親が、口を開いた…  「…要するに、思い出です…」  「…思い出?…」  「…私の場合は、さっきも言ったように、子供の頃に、マフィア映画を見て、その影響で、アメ車に憧れた…それが、郷愁です…私の世代では、子供の頃にスーパーカーブームというのがあって、フェラーリとかランボルギーニとかいうクルマが人気でした…その中で、とりわけ人気だったのが、ロータス・ヨーロッパというクルマです…」  「…ロータス・ヨーロッパ? …」  初めて、聞く、名前だ…  「…ハイ…ロータス・ヨーロッパです…漫画の主人公がそれに乗っていて、その漫画が、当時、爆発的に人気がありました…もう五十年近く前です…ですが、今も、当時、ロータス・ヨーロッパに憧れた子供が、大人になって、当時のロータス・ヨーロッパを購入する人間が、います…私には、そこまでの真似はできません…」  「…五十年前のクルマを購入ですか?…」  「…ハイ…」  私は、唖然とした…  五十年といえば、私の二倍以上の年齢だ…  そんな大昔のクルマを購入したいなんて?…  文字通り、絶句した…  「…お嬢さん、驚いたようですね…」  「…驚きました…」  「…実は、私も、驚きました…」  「…高雄さんのお父様も驚いた?…」  「…だって、五十年近く前のクルマを、購入しようなんて、どう考えても、普通じゃないでしょ?…」  「…」  「…でも、それをしている人間を見て、私は感じました…」  「…なにを感じたんですか?…」  「…大げさに言えば、執着心というか…当時の子供が大人になって、五十年経っても、そのクルマを欲しがる…とても、勝てないなと、私は思いました…」  「…勝てない?…」  「…ハイ…私は、それほどの執着心はありません…だから、例えば、今、購入するとすれば、同じロータスでも、最新型のものを購入します…その方が現代的でしょ…」  私は、高雄の父親の言葉に、素直に頷くことはできなかった…  だから、  「…」  と、黙った…  すると、  「…どうしました? …お嬢さん?…」  と、高雄の父親が訊いた…  「…なんか、羨ましいなと思って…」  「…羨ましい? なにが?…」  「…そんなに想ってくれることが…」  「…想ってくれること?…」  「…クルマでも、人間でも、そんなに長く想ってくれるなんて、ありえないじゃないですか? そう考えると、羨ましいです…」  私の言葉に、今度は、  「…」  と、高雄の父親が黙り込んだ…  「…たしかに、そうかもしれない…」  ポツリと呟いた…  「…そんなふうに、考えなかった…」  それから、私を見て、  「…人間って、面白いですね…」  「…なにが、面白いんですか?…」  「…お嬢さんのように、自分の娘ぐらいの年齢の女のコに、自分が、考えもしないことを教えてもらう…この歳になって、つくづく自分一人の頭では、なにもできないと、今さらながら気づかされます…」  「…」  「…私も組織の人間です…だから、自分一人では、なにもできないことがわかっているつもりでした…でも、やはり、わかってなかったのかもしれない…」  「…」  「…そして、今、お嬢さんとお話して、気付きました…」  「…なにを気付いたんですか?…」  「…自分のダメさ加減と言っては、なんですが、執着心が足りないことにです…」  「…執着心が足りない?…」  「…今、お嬢さんが、言いました…それほど、想ってもらえるのは、嬉しいと…」  「…」  「…クルマも人間もいっしょです…50年前のクルマに恋をする…そして、それが、忘れられずに、そのクルマを50年後に買う…これが、執着心です…ですが、私は、今、お嬢さんに言った通り、そんな執着心はありません…仮に、購入するとしたら、同じロータスでも、最新型を購入します…」  「…でも、それが普通なんじゃ…」  「…たしかに、お嬢さんの言う通り、それが普通なのかもしれません…でも、見方を変えれば、執着心がない…どうしても、これが欲しいという気持ちがない…」  「…」  「…私に足りないものは、執着心と言われたことがあります…組織でも、なんでも、上昇志向に欠けると、ひとから、言われたことは、一度や二度では、ありません…」  「…でも、上昇志向って、ない方がよくないんじゃ…」  「…どうして、ですか?…」  「…なにか、カッコ悪いというか…いえ、能力があれば、いいんですよ…でも、例えば、会社でもなんでも、学歴が劣るのに、自分より上の学歴の人間を目の敵(かたき)にしたり、それでいて、誰が見ても、その人間の頭が悪ければ、失笑ものです…」  「…失笑もの? …ですか?…ですが、お嬢さんは、よく、そんなことがわかりますね…」  「…父が、昔、就職したときに、バブルだったんだそうです…」  「…バブル…」  「…だから、その時代じゃなきゃ、採用されない人間を、数多く見たと言ってました…ときどき、父がその話をするので…」  私の言葉に、高雄の父が、  「…」  と、考え込んだ…  それから、  「…お嬢さんのお父さんの言うことはわかる…」  と、呟いた…  「…たしかに、私もあの時代を経験しましたが、明らかに異常でした…だから、お嬢さんのお父さんの言うことは、わかる…」  「…高雄さんのお父様は、頭が良すぎるんじゃ、ありませんか?…」  「…私が、頭が良い? …どうして、そう思うんですか?…」  「…さっき、言った執着心です…会社でも、なんでも、上に上がりたいとかいう上昇志向を持つのは、誰でもあると思います…でも、身の程を知るというか…大抵は誰でも、自分の能力って、わかるじゃないですか? …でも、わかるってことは、それ以上、はみ出さないというか?…」  「…はみ出さない? …どういう意味ですか?…」  「…自分の能力は、この程度と、自分で決めてしまう…すると、周りが、オマエは、もっと上に行けるんだといっても、そうは思わない…結果的に、別の人間に追い越されるというか…チャンスを生かせないというか…」  私の言葉に、高雄の父は、  「…」  と、考え込んだ…  私は、それを見て、慌てて、  「…すべて、父の言葉の受け売りですよ…」  と、付け加えた。  事実、父が、時折、家で、言った言葉だからだ…  それでも、まだ高雄の父は、考え込んだままだった…  「…まさか、お嬢さんと話して、自分が教えられるとは…」  と、感嘆したように、呟いた…  「…つくづく、人間は、年齢じゃないですね…」  高雄の父が言う。  「…実は、私も、お嬢さんと、同じ意見です…」  「…同じ意見?…」  「なにか、剥き出しの上昇志向って、カッコ悪いじゃないですか? …私もそれが嫌で…」  恥ずかしそうに、言った。  「…自分は、それが嫌で、嫌で…でも、お嬢さんが言ったように、それで、チャンスを逃してきたことがあったのかもしれない…」  高雄の父が、意味深に言った…                 <続く>
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