常連さんと私

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常連さんと私

「やぁ!サユリちゃん!」 そう言って入ってきたのは、常連客の民雄(たみお)さんだ。 通称「(たみ)さん」。 父の同級生で、昔から私も良く知っている人の一人だ。 「いらっしゃいませ!ブレンドでいいよね?」 「おう」 そう言うと、民さんはいつもの場所に座った。 昔私が店の手伝いをしていた頃から、民さんの席はカウンターの左端。 一番奥のその場所は、外から見えない。 だから、サボっているのがバレなくていいんだ、と話していたのを覚えている。 透明の大きなガラス瓶からマイルドブレンドの豆をメジャースプーンで掬い、10グラム計ってミルで挽く。 すると、フワッと芳ばしい香りが辺りに満ちた。 因みにカッパーロでブレンドとはマイルドブレンドのこと。 これは父の父による父のためのブレンドで、その豆の配合は門外不出である! というのは大嘘で、ブラジルサントスをベースにコロンビア、マンデリン、グァテマラを絶妙にブレンドしたカッパーロの顔とも言える定番であった。 「わしが一番乗りだったかな?」 左端で仕事用のキャップを脱ぎながら民さんが言った。 「そうよ。新装開店一番乗り。これからもどうかご贔屓に!」 そう言いながら、淹れたばかりのコーヒーを民さんの前に置いた。 そしてカッパーロ名物、コーヒーのお供の「エビせん」も添える。 コーヒーには甘いもの、チョコとかケーキとかが一般的だけど、カッパーロでは開店当初から「エビせん」である。 ほんのりとしたエビの風味と塩気、これが案外コーヒーに合う。 もう常連さん達の間では、これがないとカッパーロじゃない!と言われるほどだ。 「あ、そうだ。サユリちゃん、きゅうりいるかい?」 「きゅうり?うんっ!いるいる!サンドイッチにも使えるしね」 「おっしゃ、ちょっと待ってな!軽トラの後ろに載っけてるから持ってくるわ」 民さんは、フットワークも軽く店を出ていった。 ハウス栽培で野菜を育てている民さんは、採れたものをよくカッパーロに持ってきてくれる。 きゅうりの他にトマトもキャベツもピーマンも育てていて、形が悪くて出荷出来ないものは大体頂いていた。 「お待たせ!はい、これ」 大きめのビニール袋に溢れるほどのきゅうりを二袋。 何匹カッパを飼ってるんだ、って言うほどの量に少し引いた。 「う……すごいね……浅漬けにしてランチの付け合わせにしようかな?」 「ははっ、とりたてのきゅうりは塩振ってかぶりつくのがいいんだよ」 だから、カッパじゃないって……。 あはは、と当たり障りなく笑いながら、私はきゅうりを店の裏に移動させた。 「それにしても……サユリちゃん、一人で大丈夫かい?」 「うん。心配ないよ?何でも出来るし」 「まぁ、そうだけどさ。わしが言ってるのはこの辺りは家がもうないからさ……」 と、民さんはため息をついた。 浅川池の近くには、昔は何軒か家があった。 でも、高齢化の為、皆老人ホームに入ったり近くの子供の家に身を寄せたりと、今ではこのカッパーロ以外に家はなくなってしまっている。 民さんが住む麓の方はまだ活気があるけど、ここは夜になると外灯の一つもない場所だった。 「大丈夫大丈夫。夜は家から出ないし戸締まりもちゃんとするしね!それに、誰がこんな山奥まで来て悪さをするのよ?私ならしないなぁ」 おどけて言うと、民さんは更に深いため息をついて言った。 「サユリちゃんも、彼氏か旦那でも連れて帰ってさ、一緒にここ、やれば良かったんだよー」 「……それが出来れば、苦労はしないんですけど……」 私の低い声に、民さんは自分が地雷を踏んだことに気付いたらしい。 ロートと濾過器を取り外し、それを能面のような顔で洗う私を見て、慌てて口を押さえていた。 「いや、まぁ、うん、そうだ。一人の方が楽だよな、うん」 慰めなんていらない。 実際一人の方が楽だし……。 本当よ!?全然楽だし!! 半ば開き直り、民さんに笑いかけると、彼は少しほっとしたような顔になった。 「まぁ、困ったら何でも言ってよ?わしら常連はさ、ここ好きだから……」 「ありがとう。お言葉に甘えてガンガン頼ります。それで早速だけど、お金貸して?」 「いや、金以外でな!!」 そう来ると思った、という顔をした民さんを見て、私はいつものように大声で笑った。 それから、常連客の何人かが来てくれて、やはり同じ様に声をかけてくれた。 それだけで、不安なんて吹っ飛ぶくらい嬉しい。 父が築いてきた信頼と、母が繋いできた絆。 それが今、私を支えてくれてるんだとひしひしと感じた。 皆の優しさに感謝しながら、私は何度もありがとうと繰り返した。
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