ファスナーがない!?

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ファスナーがない!?

「あっ!えっと、ごめん!」 気付くと、私は一之丞の体を撫で回していた。 モチモチヒヤヒヤツルツル。 この手触りは癖になる! とはいえ、子供相手にこれは駄目だわ。 児童なんとか法に触れたらいけないので、私は急いで一之丞を椅子に乗せ、後の2匹も続けて乗せた。 「ええと。オレンジジュースでいい?ケーキも食べるよね?」 気を取り直した私は、3匹に話しかけた。 すると右端に座った三左が嬉しそうに返事をする。 「うわーい、ケーキ、ケーキ!!僕ケーキ初めてー!」 な、何ですって!? ケーキが初めてってどう言うこと? 誕生日とかに食べないの!? 愕然として三左を見つめていると、隣の次郎太が言った。 「三左、恥ずかしいぞ?ケーキごときで……で、ケーキとはなんだ?」 「ケーキ……食べるか?と聞かれたのだ。食べるものに決まっている」 一之丞が次郎太の問いに答えた。 そのやり取りを聞きながら、私は彼らの背景について勝手に考えた。 常連さん達のお孫さんかと思ったけど、その線はないかもしれない。 これでもか!と孫自慢をする常連さん達が可愛い孫にケーキの一つも与えてないなんてあり得ない。 もしそうだとしたら、経済的に……困窮した……はっ!そうか! そして私の妄想は暴走した。 彼らはどこかの養護施設から逃げてきたんだ。 それはかなり劣悪な環境で、着るものも与えられず、あるのはカッパの着ぐるみだけ。 食べ物もロクに貰えず、ケーキなんて誕生日にすら食べられない。 そしてついに、彼らは逃げることにしたのだ。 その時の私の頭の中は、養護施設の鬼園長に対する怒りで一杯で、石原仁左衛門の件はスッポリと抜けていた。 「ううっ……なんてこと……」 「サユリ殿?」 「サユリさん?」 「サユリちゃん?」 目の前の3匹が首を傾げた。 その純真無垢な様子に、私の涙腺は崩壊し、持っていたオレンジジュースは大きく揺れた。 「大丈夫だから。大丈夫だからね!さ、ケーキ食べて!オレンジジュースもね!」 震える声で言いながら、さっとカウンターに3つ、ケーキとオレンジジュースを用意した。 「かたじけない。突然やって来たのに嫌な顔一つせず、このような歓迎を……」 一之丞はカウンターの上に両手を乗せ、ぎゅっと拳を握ると、小さな体をぷるぷると震わせた。 「いいのよ!事情はおいおい聞くから!今は食べて?」 「……すまん。さ、皆、頂こう!」 一之丞は次郎太と三左を見ると軽く頷いた。 「あ。待って?そのままじゃ食べにくくない?頭だけでも取ったら?」 いくらなんでも着ぐるみを着たままでは食べづらい。 そう思って言ったのに、3匹は驚愕の表情を浮かべた。 「待て……人とは……物を食べるとき、頭を取るのか?いつの間にそのような進化をしたのだ?ひょっとして、サユリ殿も頭を取るのか?」 一之丞は持っていたフォークを握り締めたまま問いかける。 「頭?いや、とらないけど。ていうかとれないけど?」 一体何を言い始めた? さっさと頭を取って食べればいいのに。 訝しげに見る私の前で、彼らは目をパチクリとさせている。 「ほら、もういいから。あなた達、被ってるそのカッパの頭、取って」 そう言いながらカウンターの後ろに回り込み、一之丞の頭に手をかけ思いっきり上に引っ張った。 「ぎぃぇぇーー」 一之丞はバリトンボイスで叫ぶ。 「うわぁー兄者(あにじゃ)ーー!」 「いやぁ!(あに)さまぁーー」 そして、次郎太は吠え、三左は叫んだ。 「あれ?取れないなぁ……」 私は呟いた。 あ、そうか。きっと、一体型になっていて体の方にファスナーがあるんだ。 そう思い、背中にあるはずのファスナーを探す。 「ええっと。ここかな?ん?ここ?あれ?」 「ウヒャ……ちょっと……ヒャ……サユリ殿……ちょ……」 一之丞は変な声を出しながら体をクネクネさせ始めた。 意地になってファスナーを探していた私は、やがてそれが存在しないことに気付いた。 「ないわ。ファスナー……」 「ファスナーって何だ?」 呆然と私の奇行を見つめていた次郎太がポツリと言った。 「カッパの着ぐるみを着脱する為の……」 そこまで言って口をつぐむ。 私の目は次郎太の隣でケーキを頬張っていた三左に釘付けになった。 器用にフォークを使い、ケーキを刺して口に放り込む。 その口の中は、着ぐるみにはあり得ないほどリアルだったのである。 「嘘……カッパ?」 着ぐるみじゃない!?これ本物!? 「……だから、初めに……名乗ったではないか……」 一之丞が肩で息をしながら、こちらを睨む。 「は?名乗っただけでわかるわけないでしょうが!?」 「わかるであろう!契約書があるのだぞ?それに書いているのだが?」 契約書……? それはまさか、石原仁左衛門が大昔カッパと取り交わしたという眉唾モノのあれかな? 「いや、そんなの伝説でしょう?何百年も前の……」 「文政2年のことだぞ。ほんの200年前ではないか」 200年前……えーと、何時代?既にわからないんですけど? 「全く……人間はすぐに代替わりをするからな。ほら、これだ。こちらは我らが持つ《写し》の方だ。見ると良い」 一之丞はどこからかふわりと緑の巻物を取り出すと、それを広げて私の前に掲げた。 ーーーー読めない。 達筆すぎて、全く意味がわからない。 そもそも、これは、人間の文字なんだろうか? カッパ文字とかじゃないの? 黙り込んだ私の様子を見て、一之丞ははぁーーと長いため息をついた。
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