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契約書
「……読めぬのだな?」
「……読めません」
暫くの沈黙の後、一之丞は巻物を自分の方に向けて読み始めた。
「文政二年、浅川村の日照りに際し、浅川池の主、又吉惣太郎と村代表石原仁左衛門との間に以下の約定を交わす。
一、又吉惣太郎は村の為に雨を降らすことを約束する。
二、石原仁左衛門は、もしも浅川池に異変あらば主の一家を責任をもって助けること。仁左衛門が死した後も、これは子孫に引き継がれる……とまぁ、こんな内容だ」
「又吉惣太郎って言うのは?」
「我らの父である。この契約書を交わしてすぐ身罷ってしまったが……」
カッパにも寿命があるのね?と口にしようとして飲み込んだ。
三左の鼻がすんっと鳴ったから。
きっと、お父さんを思い出して悲しくなったんだ。
その気持ち、私にも痛いほどわかる。
「そう……それで、何か池に異変があってここに?」
「その通り」
漸く理解したと見ると、一之丞は安心したように椅子に深く座り直した。
そして、話は終わったとばかりにフォークを持ちケーキに突き刺すと一気に口に放り込んだ。
「ねぇ、責任を持って助けるって……結局どうするの?」
助けるって言っても、何をすればいいのかわからないし、今の状況をまだ正しく理解してはいない。
私に頼られても困る、というのが正直な感想だ。
不安げな私とは対照的に、一之丞達は幸せそうな顔でケーキをモキュモキュと咀嚼する。
そして、ゴクンと流し込むと、私の問いに答えた。
「住むところを失ったのでな、サユリ殿に面倒を見てもらうことにしたのだ」
「浅川池が干上がってしまってね。俺の自慢の皿もカピカピさ」
「僕たちのお家住めなくなっちゃったの。サユリちゃん、なんとかして?」
一之丞、次郎太、三左が順番に言った。
「つまり、こういうこと?ここにおけと」
3匹は激しく頷いた。
だけど、それは無理だ。
だって、この店の収入なんて、私と母が暮らしていけるほどしかないし、貯蓄だってほとんどない。
新しくペット……しかもカッパを飼う余裕なんてない。
「ごめん。うちでは飼えないの」
ポツリと呟くと、三左がピョコンと飛び出して来て足に纏わりつく。
「ひどいっ!僕たちペットじゃないよぅ!」
「あっ!そうね。ごめんなさい。でもね、うちにはお金がなくって……3匹……いや、3人の食費とか賄えないのよ」
「それなら心配いらぬ」
「へ?」
一之丞はふふん、と不敵に笑った。
正にその答えは予測してました!という顔をして。
「我らは食にうるさくはないぞ?基本食事など(新鮮な)きゅうりで構わぬ」
今、何かめんどくさいことを間に挟まなかった?ねぇ?
「であるから、必要なのは寝床なのだ」
「寝床?」
「うむ。体も小振りであるし、場所もとらぬ。どうだろうか?」
一之丞は身を乗り出して嘆願した。
その小首を傾げる仕草の可愛いことといったら……。
この可愛さを拒絶出来る女子がいるのだろうか?
……言い直す。
拒絶出来るアラサーがいるのだろうか?いや、いない!
私は不憫なカッパ達を店に置いてやることを密かに決定し、参考までにお断りバージョンも聞いておこうと問いかけた。
「私がダメだって言ったらどうするの?」
「その時は、契約不履行として……」
「として?」
「呪う」
アーーーーーーー……。
こんな可愛い姿で恐ろしいことを言うのねー……。
お姉さん、震えちゃった。
「断るか?」
「……とんでもない。ここで良かったらどーぞ?でも、見つかったら駄目だから営業中は出てこないでよ?」
私は真顔で淡々と言った。
カッパの存在なんて誰も信じないだろうけど、彼らが世に知れたら大変なことになりそう。
それこそ、第2のカッパブームが起こったりして?
いや、それよりもどこかの悪の研究機関に連れて行かれて解剖……とか?
次の私の妄想は、オカルト&バイオレンス方面に走った。
「かたじけないっ!承知した。迷惑はかけないと約束致す。浅川池の水位が戻れば速やかに出て行くゆえ……」
「そうなの?あ、そういえば、池が干上がった原因って何?」
「うむ……それは色々事情があってな」
一之丞は言葉を濁す。
見ると次郎太も三左も顔を見合わせて落ち着かない様子だ。
「これは我らの問題である。すまぬがサユリ殿に話すわけにはいかんのだ」
「ふぅん。なら別にいいけど。早く水が戻るといいね」
言いたくないことを追及する趣味は私にはない。
迷惑かけないって言ってるんだから、寝床だけ提供してあげればそのうち出ていくでしょ。
軽く言って微笑むと、彼らは安堵のため息を付いた。
「そうであるな。早急に事態の収拾に努めることにする!」
一之丞は鼻息も荒く頷いた。
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