契約書

1/1
前へ
/99ページ
次へ

契約書

「……読めぬのだな?」 「……読めません」 暫くの沈黙の後、一之丞は巻物を自分の方に向けて読み始めた。 「文政二年、浅川村の日照りに際し、浅川池の主、又吉惣太郎と村代表石原仁左衛門との間に以下の約定を交わす。 一、又吉惣太郎は村の為に雨を降らすことを約束する。 二、石原仁左衛門は、もしも浅川池に異変あらば主の一家を責任をもって助けること。仁左衛門が死した後も、これは子孫に引き継がれる……とまぁ、こんな内容だ」 「又吉惣太郎って言うのは?」 「我らの父である。この契約書を交わしてすぐ身罷ってしまったが……」 カッパにも寿命があるのね?と口にしようとして飲み込んだ。 三左の鼻がすんっと鳴ったから。 きっと、お父さんを思い出して悲しくなったんだ。 その気持ち、私にも痛いほどわかる。 「そう……それで、何か池に異変があってここに?」 「その通り」 漸く理解したと見ると、一之丞は安心したように椅子に深く座り直した。 そして、話は終わったとばかりにフォークを持ちケーキに突き刺すと一気に口に放り込んだ。 「ねぇ、責任を持って助けるって……結局どうするの?」 助けるって言っても、何をすればいいのかわからないし、今の状況をまだ正しく理解してはいない。 私に頼られても困る、というのが正直な感想だ。 不安げな私とは対照的に、一之丞達は幸せそうな顔でケーキをモキュモキュと咀嚼する。 そして、ゴクンと流し込むと、私の問いに答えた。 「住むところを失ったのでな、サユリ殿に面倒を見てもらうことにしたのだ」 「浅川池が干上がってしまってね。俺の自慢の皿もカピカピさ」 「僕たちのお家住めなくなっちゃったの。サユリちゃん、なんとかして?」 一之丞、次郎太、三左が順番に言った。 「つまり、こういうこと?ここにおけと」 3匹は激しく頷いた。 だけど、それは無理だ。 だって、この店の収入なんて、私と母が暮らしていけるほどしかないし、貯蓄だってほとんどない。 新しくペット……しかもカッパを飼う余裕なんてない。 「ごめん。うちでは飼えないの」 ポツリと呟くと、三左がピョコンと飛び出して来て足に纏わりつく。 「ひどいっ!僕たちペットじゃないよぅ!」 「あっ!そうね。ごめんなさい。でもね、うちにはお金がなくって……3匹……いや、3人の食費とか賄えないのよ」 「それなら心配いらぬ」 「へ?」 一之丞はふふん、と不敵に笑った。 正にその答えは予測してました!という顔をして。 「我らは食にうるさくはないぞ?基本食事など(新鮮な)きゅうりで構わぬ」 今、何かめんどくさいことを間に挟まなかった?ねぇ? 「であるから、必要なのは寝床なのだ」 「寝床?」 「うむ。体も小振りであるし、場所もとらぬ。どうだろうか?」 一之丞は身を乗り出して嘆願した。 その小首を傾げる仕草の可愛いことといったら……。 この可愛さを拒絶出来る女子がいるのだろうか? ……言い直す。 拒絶出来るアラサーがいるのだろうか?いや、いない! 私は不憫なカッパ達を店に置いてやることを密かに決定し、参考までにお断りバージョンも聞いておこうと問いかけた。 「私がダメだって言ったらどうするの?」 「その時は、契約不履行として……」 「として?」 「呪う」 アーーーーーーー……。 こんな可愛い姿で恐ろしいことを言うのねー……。 お姉さん、震えちゃった。 「断るか?」 「……とんでもない。ここで良かったらどーぞ?でも、見つかったら駄目だから営業中は出てこないでよ?」 私は真顔で淡々と言った。 カッパの存在なんて誰も信じないだろうけど、彼らが世に知れたら大変なことになりそう。 それこそ、第2のカッパブームが起こったりして? いや、それよりもどこかの悪の研究機関に連れて行かれて解剖……とか? 次の私の妄想は、オカルト&バイオレンス方面に走った。 「かたじけないっ!承知した。迷惑はかけないと約束致す。浅川池の水位が戻れば速やかに出て行くゆえ……」 「そうなの?あ、そういえば、池が干上がった原因って何?」 「うむ……それは色々事情があってな」 一之丞は言葉を濁す。 見ると次郎太も三左も顔を見合わせて落ち着かない様子だ。 「これは我らの問題である。すまぬがサユリ殿に話すわけにはいかんのだ」 「ふぅん。なら別にいいけど。早く水が戻るといいね」 言いたくないことを追及する趣味は私にはない。 迷惑かけないって言ってるんだから、寝床だけ提供してあげればそのうち出ていくでしょ。 軽く言って微笑むと、彼らは安堵のため息を付いた。 「そうであるな。早急に事態の収拾に努めることにする!」 一之丞は鼻息も荒く頷いた。
/99ページ

最初のコメントを投稿しよう!

169人が本棚に入れています
本棚に追加