auxilium

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地下鉄駅から階段を駆け上がる。 目の前には煌びやかな通りが広がった。 軽く呼吸を乱しながら、瑤は周囲を見回す。流石に千尋は帰ってしまっただろうか。工房へ向かってみて居なければ、野田に話し相手になって貰おう。そうなれば、どちらにせよ手土産が必要だ。千尋は何を食べても嬉しそうな顔をするから、値段は張ってしまうが和菓子でも購入してみたい。閉店時間が迫っているのか、何パーセントオフなんて書かれた赤い紙が目に入る。適当に選び工房に足を進めようとした瞬間、身なりの良い男性と歩く千尋の姿が人混みから垣間見えた。その光景が認められなくて、一度は目を背けた。しかし千尋が大人しく男性に肩を抱かれる様子に、絶句を禁じ得ない。心変わりとか、色無を利益で欲しがる金持ちの話。様々な場所で得られた情報が、頭の中で一気に押し寄せて瑤の背中を押す。気が付けば男性の手を払い除けて、千尋の腕を掴んでいた。上手く繕えている気はしないが、目だけ笑っていない笑顔で低い声を発する。 「千尋さん!落ち着いて話がしたいと思ってさ、工房に行く所だったんだけど。まだ仕事は終わりそうにないか?」 「......あの、オルゴールの制作依頼」 「あぁ、依頼されたイメージで曲を作る為に思い出の場所に行こうかとか誘われたのか。最近、野田さんと話す機会があってさ。オルゴールのこと、色々教えて貰ったんだよな」 「瑤、怒ってるのか?」 千尋が明らかに引き攣った表情に変わった。我ながら良くもつらつらと、自己完結な言葉を発せられたと思う。普段と違う瑤の雰囲気に、困惑しながら不安げに顔色を伺う姿は可愛らしいが許さない。腕時計を確認した男性が舌打ちをするのが、視界の端に映り込むが部外者に興味など無かった。しかし肩を掴まれ煩わしそうに意識を向ければ、一連の動作を見ていた千尋が怯えて肩を揺らす。 「君が片瀬瑤くんだね。申し訳ないが時間が無いんだ、痴話喧嘩なら後にしてくれないか?数時間、彼を借りるだけだ。それ以上は手出しをするつもりなどない」 「あんたに興味が無いから、都合なんか知らない」 「瑤、あとで連絡する」 その場を治めようとしているのは分かった。ただ諌める対象が男性の方ではなく、瑤を選んだことが気に入らない。他の何を捨てても絶対に手離したくない千尋が、見えない場所で取られそうになっている。その事実に激昂しない人が存在するのなら見てみたい。
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