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「……馬鹿だねぇ、ヒース」
旬が過ぎようとしているライラックの樹の陰から、ディアナの従者の独白に耳を傾ける。
向こうは薔薇園に自分以外に誰もいないと思い込んでいるらしいが、フェイは最初からここにいる。
本当はすぐに声をかけようとしたのだが、憔悴し切った面持ちでいたから、口を噤んだ。
そうしている間に、主には決して届かない独白が始まり、出るに出られなくなってしまったのだ。
風に乗って聞こえてくる声に、そっと目を閉じる。
(まだ、姫は答えを出せていない。その隙を突いて、さっさと奪っちゃえばいいのに……)
そんなことを思いつきもしないであろうヒースは、見かけ以上に不器用なのかもしれない。
(全く……不器用なのは、あの夫婦だけじゃなかったってことか)
ヴァルもディアナも、お世辞にも器用に人生を渡り歩ける性質ではない。
しかも、二人共頑固ときているのだから、かなり面倒臭い。
(姫辺りは認めそうにないけど……相当、頑固だよ)
でなければ、あんなにも長い間、自分のことを化け物だと信じ込み続けるのは難しい。
一応、化け物ではないと否定したヴァルの言葉を受け入れてはいる様子だったが、本当の意味で受け入れたとは到底思えない。
(面倒な子たちばっかりで、お兄さんは困りますよ)
微風に煽られ、はらはらと舞い落ちてきたライラックの薄桃色の花びらが手のひらに乗る。
その花びらが風に飛ばされないようにと、きゅっと握り込む。
こんな風に閉じ込めてしまえば、向けられる感情がどんなものであれ、相手の目には自分しか映らなくなるはずなのに、ヴァルもヒースもそんなことは考えてもいないみたいだ。
どちらも嫉妬深いのだから、いっそのことそうしてしまえば心労が減るだろうに、彼らは随分と純粋だ。
(俺なら、つい考えちゃいそうだけど……)
ちらりと、ライラックの樹の根元に視線を落とす。
そこには、既に息絶えたエフィーの亡骸が横たわっている。
死体と一緒にいる趣味など欠片も持ち合わせていないのだが、こちらに戻ってきた時に傍にあったのだ。
まるで、死んでも尚犯人であるフェイを責め立てているかのようだ。
そんなことをしても生き返るはずがないのにと、鼻で嗤う。
離れようと思えば離れられるのだが、今動けば確実にヒースに気取られる。
そうしたら、どうして遺体が傍にあるのにずっと沈黙を守っていたのかと、問い質されるだろう。
何が何でも、フェイに疑惑の目を向けさせるわけにはいかない。
あくまで自分は、自然な形で死体の第一発見者にならなければならない。
だから、機を見て行動しなければならないのだ。
十中八九、今の自分は誰の目から見ても冷酷な男に映るだろう。
そのくらいは、さすがに自覚している。
だが、たとえ誰にどんな目を向けられようとも、己の目的を達成するためならば、手段は選ばない。
そのためだけに、自分は生きているのだ。
もし、この悲願が成就しなければ、あの鏡に映った少年のような人形に戻ってしまうかもしれない。
だから、この自分を何が何でも貫いてみせる。
(ああ、でも――)
銀髪の少女を思い浮かべた途端、苦い笑みが零れた。
(――姫は、こんな俺を軽蔑しないかもね)
何せ、あの壮絶な過去を経験した身で、ウォーレスを憎んだりしないと断言したのだ。
たとえフェイが世界の全てを敵に回したとしても、ディアナがどんな反応を示すのか想像できない。
(本当に面白い子だね、姫は)
改めて、胸中でしみじみと呟いた。
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