Chapter7. 『解放』

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ライラックの樹に走り寄ると、フェイの言う通り、根元にうつ伏せの状態で少女が倒れていた。 一旦立ち止まってから慎重にそろそろと歩み寄り、地に膝をつく。 倒れている少女の外見的な特徴から、ほぼ間違いなくエフィーだろうと確信する。 それでも念のため、顔を確認しておくべきだろう。 (……ごめんなさい) 目を閉じて心中で詫び、瞼を持ち上げるなりその身体に手を伸ばす。 怖々と少女の身体を仰向けにすれば、見知った顔が視界いっぱいに映り込む。 顔には血の気がなく、真っ青だ。 身体もまだ僅かに温もりが残ってはいるものの、生気は全く感じられない。 おずおずとエフィーの口元に手の甲を近づけたが、息遣いが肌に伝わってこない。 手首で脈を測り、完全に息を引き取ったのだと悟る。 エフィーの亡骸に、はらはらとライラックの花びらが降り注ぐ様は、さながら彼女の死を悼んで献花を捧げているみたいだ。 エフィーの死体を前に、きつく唇を噛み締める。 彼女には、散々嫌な目に遭わされた。 でも、だからと言ってエフィーの死を喜べるはずがない。 あんなにも生気に満ちていたのに、どうして早過ぎる死を迎えてしまったのか。 死因を探るべく、無礼だと理解しつつも彼女の遺体を観察する。 すると、背中に刺し傷を発見する。 傷口からして、それほど大振りの刃でないことが分かる。 (あの場で、誰かに刺し殺されたの……?) あの世界にはディアナを含め、五人しかいなかったはずだ。 もしかすると、他にも人が紛れ込んでいたかもしれないが、あの世界に迷い込んだという人は今のところ、その五人しか見受けられていない。 そうなると、その中の誰かが犯人である可能性が出てくる。 (私はそれどころじゃない状況だったから、不可能。エフィー自身も、もちろん無理。もし自殺だとしたら、背中を刺すなんて無理だもの) 条件を絞ると、残るはあの三人だけだ。 疑うのは気が引けたが、場合によっては王立騎士団に突き出さなければならないのかもしれないのだ。 心を鬼にして、思考を巡らせる。 分かりやすく刃物を携帯していたのはヴァルだが、彼が持っているのは大振りの剣だ。 致命傷がこんなに小さいはずがないし、もしヴァルの剣を使用した場合は、腹部にまで刃が貫通するはずだ。 そうすると、腹部に外傷がないのはおかしい。 ヒースも凶器を持ち歩いてはいるが、彼が愛用しているのはワイヤーだ。 ヒースが刃物を手にしている場面に遭遇したのは、料理をしている時くらいだ。 わざわざ使い慣れていない凶器に変える意味が、見出せない。 ディアナの目を誤魔化すためだとしても、ヒースの性格からして嘘を吐くだろうか。 ヒースは、確かに口にしていたのだ。 ヴァル以外とは、会っていないと。 そう考えると、ヒースも容疑者から除外される。 (あとは……) 残るは、フェイだけだ。 だが、彼を疑うのにも無理が出てくる。 (フェイは、あの骸の群れに襲われた時、私が剣を渡すまでは何も武器を持っていなかった。自分の命が危ない時に、凶器を隠し持ったままに普通しておく?) さすがにそんな状況に陥ったら、隠していたくても出さざるを得ないだろう。 もし、その場で殺されてしまったら、犯行が果たせないのだから。 そもそも、誰が犯人にしろ、故意に殺害したのだろうか。 正当防衛の可能性も考えてみたが、すぐに違うと頭を振る。 エフィーは、ディアナにしか殺意を向けていなかった。 たとえ他の人が偶然遭遇したとしても、エフィーがその人の命を奪おうとしたとは考えにくい。 だとすると、犯人がいた場合は意図的に犯行に及んだと考えるのが妥当だ。 (でも、待って……。そもそも、犯人なんか存在するの?) 見たところ、凶器は傍に落ちていない。 こうなると、犯人が持ち去ったと推測するのが自然だが、あの三人はそんなものを持ち合わせてはいなかった。 それに、世界が崩壊していたあの状況では、多くの鏡の破片が落下していた。 刃物のように鋭く尖った破片に貫かれたとすれば、色々と説明がつく。 凶器となった破片の行方は、床が抜け落ちた際の衝撃でどこかに飛んでいったのだと考えれば、やはり腑に落ちる。 疑い深くなるのはよくないと自分を諌めた直後、背後に三人分の気配を感じた。 ゆっくりと立ち上がって振り返り、真っ先にヴァルの元へと小走りで駆け寄る。 「……ヴァル。あの子、あの鏡の世界を創り出して、私の命を狙っていたの」 「……何だと?」 ディアナの説明に、ヴァルが不快そうにきつく眉根を寄せる。 他の二人も、似たり寄ったりの反応をしているのを、視界の隅で捉える。 それぞれに言いたいことがありそうな雰囲気だが、とりあえず話を続けた。 「それに……あの子、魔女の生き残りなんだって。これって……ノヴェロだけの問題じゃないよね?」 ヴァルは少しの間を置いてから、重々しく口を開いた。 「……そうだな。ノヴェロには巫女がサクリフィスしかいないから、そういった知識には乏しい。それに、そこの子供が生き残っていたということは、明らかにバスカヴィルの過失だろう。そういう意味でも、一度バスカヴィルと協議する必要がある」 彼の言葉に、小さく頷く。 人としては冷酷に聞こえるかもしれないが、王としては正しい判断を下している。 改めて、王は孤高な生き物だと実感する。 「ヴァル……この子にはやっぱり、ちゃんとお墓を用意できないの?」 「そうだな……。子供相手とはいえ、王妃に刃向かおうとしたんだ。不敬罪と反逆罪、二つの罪を犯したんだから、生きていれば処刑確定だ。今回は既に死亡しているから……身元割り出しのために、バスカヴィルに運ぶしかないだろう」 「身元は……一応、分かっている。あの子が、自分の姓も名乗っていたから」 「……だとしても、より細かい調査のために向こうが運んでいくだろうな。バスカヴィルにとっては、魔女の残党の存在が明るみになった時点で、恥だろうからな」 「恥……」 やはり国が絡むと、どうにも汚い話が混じりがちになるらしい。 つい俯いてしまったディアナの肩を、ヴァルがそっと抱き寄せる。 「……今日は疲れただろう。早々に休め。今は、難しいことは何も考えるな」 「……うん」 ヴァルに促されるままに、加速しがちになっていた思考が鈍くなっていく。 ヴァルは、ヒースやフェイと何か話しているみたいだが、内容が頭に入ってこない。 どっと疲労感が押し寄せる中、ヴァルの胸にもたれかかって頬を擦り寄せた。
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