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「おかえり」
家に戻るとリビングのテーブルでパソコンに向かっていた水沢朱音が笑いかけた。
「ただいま。今日は早かったんだね」
時計は夜の十時を過ぎていた。奏は朱音の正面側の椅子にカバンを掛けた。そして、シンクに向かい、食器棚のグラスを手に取った。
「もう夜ごはんは食べた?」
奏が尋ねると「作り置きのスープ貰っちゃったよ」と朱音が言った。
朝、奏が作っておいたミネストローネのことを指している。
「あ、それは食べていいんだ。姉さんのために作ってたんだし」
奏は冷蔵庫を開けると、ミネラルウォーターのペットボトルを手に取った。ほとんど空の朱音のグラスに水を注ぎ、それから自分のグラスに注ぐ。
「ありがと。スープ、おいしかったよ。バイトは忙しかった?」
「いや特に。平和な夜だったよ」
奏はグラスの水を口にした。
「そう。それならよかった。悪いけど、私はまだ仕事あるんだ」
「うん。僕はとりあえずお風呂に入るよ」
その言葉に応えることはなく、朱音は長めの前髪をたくしあげると再びパソコンに向かった。
二人が住むマンションは、都内でも割と高いマンションだった。
名義は朱音のもので、当然ながら購入したのも朱音だった。八つ年下の弟である奏は、朱音が負担している学費で大学に通っている。
奏は、朱音がIT業界で働いており、家でも仕事の何かをしていることぐらいは知っている。しかし、具体的にどんな仕事をしているのか奏はあまり知らない。自分の生活費や学費のほとんどは朱音のおかげで成り立っているということだけは理解している。
忙しい朱音のために自分ができることとして、料理や掃除、洗濯など家事の部分を奏は担っている。これを苦痛と思うことはなく、どうしたら効率がよくなるのか考えることが楽しい、奏は本気でそう思っていた。
家事が優秀な奏のせいか、朱音は部屋の掃除などにはかなり無頓着で、脱ぎ散らかした服などはあちらこちらに散らばり、食べた器や鍋はシンクに置き去りにされていた。
奏は、この関係自体に不満は持っておらず、平穏な日々を与えてくれる朱音に感謝して生きている。
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