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 誰かにつけられている。店を出たときからずっとだ。  水沢奏(みずさわかなで)にとってこれは初めての経験ではない。記憶にある限りでも一度や二度ではない。 「やれやれ……。平和な日々はなかなか来ないな」  大袈裟にため息をついて、奏は空を見上げた。  都会の空では一等星が瞬いていた。目を凝らせば二等星、三等星ぐらいはどうにか見える。ほかにも星は多くあるのに、光の等級が低いばかりに人の目に止まることはない。  奏も人の目に止まることなく生きていたかった。平和な日々の中で好きな本だけを読むような日々を過ごしたかった。  ところがなぜか、世界はそんな奏の希望を許してくれない。  奏は、細い路地に入った。  追跡者は、少し距離を置いてついてくるようだった。 「こんな路地にまでついてきたら、尾行がバレるとは思わないんだかね」  独り言を言いながら奏は路地を抜けた。  奏は決して焦ることもなく、むしろ余裕をもって動いていた。  路地を抜けると、前方に三メートルほどの高さがありそうなコンクリートの壁が現れた。バスケットボールのゴールよりも高い壁だった。壁を避けるために左右へ抜けることが可能な細い道もあるが、ゴミやガラクタで決して歩きやすい道ではない。  左右を見てから奏では笑みを浮かべた。そして、アスファルトを蹴った。  三メートルはあろうコンクリートの壁上部を軽々とつかんだ。常人の運動能力ではありえない垂直飛びの高さだった。奏はそのまま腕の力で身を引き寄せ、壁の上に立った。どう見ても危うい足元を奏は笑みを浮かべて立っていた。  路地を抜けてきた追跡者は、壁の上に立つ奏を見て驚いた。 「尾行、お疲れ様。まだついてこれるならどうぞ」  そう言うと、奏は壁の上に消えた。  壁の向こうは廃工場だった。  何度か家までのショートカットとして利用しているので、奏はどこを歩けばよいのか把握していた。 「さ、帰ろう」  奏は右肩を軽く回して、何事もなかったかのような顔で冷たいアルファルトの上を歩き始めた。
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