一 四月三十日、木曜日、晴れ

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 重いまぶたをうっすら開ける。最初に見えたのは、明るい蛍光灯の光だった。どうやら寝ていたらしい。ここ、どこだろう。  なんだか鼻が痛い気がする。そういえば、サッカーの途中だったっけ。あの時たしかわたしは戸川くんのことばっかり考えていて、そしたら飛んできたボールをよけきれなくて、それで……。  記憶を辿(たど)り、なんとかなにがあったかを思い出す。あぁ、どうりで鼻が痛いわけだ。  ということは、ここは保健室だな。中学になって初めて来たなぁ。  そんなことを考えながら体を起こし、ベッドを囲っていたカーテンを勢いよくしゃっと開けた。 「うわっ!」  カーテンの向こう、そこには、驚いた様子でこっちを見ている黒ぶち眼鏡の男子生徒がいた。  今日はこんなにあったかくて晴れているのに、制服の学ランを着込んで、しかもご丁寧に第一ボタンまで締めている。そんな彼の驚きように、思わず私もびくっとしてしまう。 「えっと……だれ?」  困って、つい彼に聞いてしまう。上履(うわば)きのつまさきはわたしと同じ赤なので、おそらくわたしと同じ一年生だろう。  彼は眼鏡を指で押し上げてから、口を開く。 「ぼくは……、えっと、保健委員みたいなものです。目が覚めたんですね。痛いところはありませんか」 「あ、特には……。ちょっと鼻が痛む気がするけど、そこまででもないから平気かな」 「それはよかったです。  ノゾミ先生はちょっと席を外されていますけど、すぐ戻ってくるはずです。それまで、もう少しゆっくりしていればいいと思います」  そう言って彼は椅子に座り直し、本を開いて読み始めた。  ……どうやらわたしと話す気はあまりないようだ。  ちょっとだけ気になることがあったので、わたしは彼に尋ねる。 「ノゾミ先生って?」 「養護教諭(ようごきょうゆ)の山本先生のことです。先生ご自身がそう呼べって言うから、呼んでます」  ヨーゴキョウユ……。それって、保健室の先生のことだっけか。そんな風に考えながら、わたしは「ふうん」と生返事をする。  まだ彼と二言三言(ふたことみこと)しか話していないけれど、彼の話す言葉は丁寧すぎて、なんだか同じ歳とは思えなかった。 「ねぇ。同じ一年だよね。何組?」  見たこともない彼のことが気になって、思わず聞いてみる。  すると彼は少しわたしの方を見てから、また視線を本に戻して、ぶっきらぼうな様子で口を開いた。 「……三組です。あなたと同じです、中井(なかい)ヒナさん」 「えっ!?」  フルネームで名前を呼ばれて思わずドキリとする。  中学生になって一か月、人の顔と名前を覚えるのがわりと得意なわたしは、さすがにクラスメイトのことは全員覚えたつもりでいた。それでも、彼の顔は、クラスメイトの名前とは一致しない。ということは。  わたしは、ひとつの可能性を思いつく。その答え合わせをしようと、ゆっくりと言葉を選びながら彼に声をかけた。 「えっと……。話すのは、はじめてだね。渡会(わたらい)くん」  そう言われた彼は、わたしをちらりと見てから、また視線を本に戻した。  否定しないということは、きっと正解なんだろう。……ちょっとわかりづらいけれど。
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