逃げろビートン

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逃げろビートン

  「逃げろビートン!」更新編 1章 がりがりの子豚 「ビートン、また、ご飯を残しているのか」 「だって、食べたくないもん」 「たくさん食べて、丸々、太りなさいと言われているのが分らないのか」 ビートンは、いつも仲間に注意されるが、直らない。養豚場には、100匹の豚がいる。半年毎に、40匹が出荷される。よく肥えているトンから選ばれる。トン達は、お祝いに連れていかれると思っている。 帰ってこないことに、疑問を持っていない。所詮、それくらいの脳しか持っていなのいだ。1週間後に、出荷の日が来る。誰が選ばれるかとワクワクしている。 ビートンは、かなり痩せているから、自分ではないと分かっている。 実は、ビートンは突然変異で生まれてきたのである。脳が人間並みの大きさを持っている。 秘密にしていることがある。人間の言葉を理解できるのだ。 養豚場で働いているのは、50台後半の安さん(やっさん)と、20代前半の啓介(けいすけ)である。 九州出身の安さんは、関西に住んでいたこともあって、会話に様々な方言が混ざっている。二人は、豚小屋の側にある宿舎に住み込んでいる。専用の個室がある。キッチン、ダイニングルーム、風呂場、トイレは共用である。二人とも独身で、食事は交代で作る。 養豚場は、その悪臭のため、郊外にある。養豚場のオーナーである金良(かねよし)は出荷の時だけ、やってくる。出荷する豚の状態を確認するためだ。 豚の飼育状況は所定の用紙に記入して、月に1回、町にある事務所に、 FAXで送るだけである。ビル貸し業など、他の商売もやっているようだ。長年勤めている安さんにも、実体はよく分からない。 二章(ビートンの処分) 二人は夕食のテーブルに着いている。安さんが作ったカレーだ。安さんはビール、啓介はサイダーを飲みながら、スプーンを口に運んでいる。「ビートンは相変わらずですね」啓介が話題を振る。安さんは黙々、食べ続けるだけで、乗ってこない。本心は焦っている。 出荷日が三日後に迫っているのだ。問題はビートンだと安さんも考えている。痩せこけた姿をみたら、金良のダミ声で、「お前ら、何をやっとんじゃ」と怒鳴るに決まっている。それだけで済むならいい。解雇の可能性もある。 若い啓介には他の仕事が見つかるだろうが、安さんの歳では、転職は厳しい。食事が済んで、タバコを一服した後、口を開いた。 「何とかせな、あかんな」啓介は、安さんの眉間にしわを寄せた顔をじっと見つめている。 「処分するしか、あれへんやろな」「どうするんですか」「つぶして、食べるんや」「あんなに痩せた奴、食えますかね」「内臓は煮込みにして、他は丸焼きやな」 「尻の穴から棒を突っ込んで、口まで通し、 焚き火であぶってな。焼けたところから切り取り、タレを付けて食うんや。旨いで」 トンたちは眠るのが早い。この時間には、全匹が眠っている。一匹だけ、二人の話に聞き耳を立てている奴がいた。ビートンである。真っ青になり、体全体を震わせている。 今日は、啓介の休日である。生活に必用なものは、車で町まで買出しに行く。片道で、一時間ほど掛かる。昼前に、買い物を済ませた後、ゲームセンターで日々の憂さを晴らす。 常連とも、顔見知りになっている。「よう、啓介。調子はどうだい」髪を左右半分、黄色と青に染め、両耳にピアス、腰パンの良太が声を掛けてくる。「ぼちぼちやな」適当に受け流し、いつもの台に腰掛ける。ゲームを始めて、十五分程で、席を立った。「早いな」「寝不足で気が乗らん」 帰ってきたとき、安さんはダイニングルームのテーブルに腰掛けて、ラジオを聴いていた。 安さんには、休日がない。啓介の休日には、ビールを昼と、三時の休憩に一缶、夕食のときに二缶飲む。ビール党である。タバコも吸う。啓介は、アルコールもタバコも体質に合わない。年中、サイダーばっかり、飲んでいる。 車から、ダンボール箱を室内に運び込んだ。大型冷蔵庫や、所定の場所に収める。寝不足なのか、動きが鈍い。安さんは手伝わない。休日をもらえる啓介の仕事だと割り切っている。「早よ、飯(めし)作ってくれへんかのう」 帰ってきたばかりの啓介に催促する。 「すぐに、やりますよ」 炊飯器に残っているご飯と、買ってきたばかりのニラとハムで、焼き飯を作った食器棚から取り出した皿をキッチンの台に、スプーンをテーブルの上に置く。フライパンから、しゃもじで焼き飯を皿に盛る。 「ワシは、そんなにいらん」安さんの食事の量はいつも控えめだ。その分が啓介の皿に乗る。啓介もテーブルに着き、両手を合わせる。 「いただきます」いつもより、ゆっくり食べている。 「どうしたんや。顔が眠っているぞ」「四時頃まで、ゲームやっていたんで」 安さんは呆れた表情で、冷蔵庫にビールを取りに、腰を上げる。食器棚から取り出したグラスに、ビールを満たす。じっくり、飲みながら、焼き飯をスプーンで口に運ぶ。食事が済んだ。片付けも啓介の役割だ。 料理と食事に使った全ての物を洗う。フライパンは壁のフックに吊り下げ、その他の者は平たい籠に入れて乾かす。啓介はテーブルに座って、サイダーを飲む安さんはタバコを吸っている。 「いつ、やります」「今夜。二時頃やったら、ぐっすり寝ているやろ。静かに近付いて、喉を掻っ切るんや」 「誰がやるんです」「決まっているやろが」 一瞬、啓介の表情が固まった。啓介は、この仕事に入って、一年目である。 面接のとき、「豚を育てるだけでいい」と金良は言った。コンビニの店員をしていた啓介は、うんざりしていた。客が出入りする度に、「ラッシャイマセー」「アリガタヤシター」という挨拶もそうだ。 夜間には、酔っ払いの客が入ってくる。絡んだり、ゲロを吐く客もいる。テーブルに居座った女子高生のうざったいチャットにも、神経がささくれた。 休憩時間に、求人誌で養豚場の募集を見たとき、これだと思った。仕事が終わると、店の外で携帯を掛けた。 「求人誌を見たのですが、未だ、募集をしていますか」「何歳かね」「二十二歳です」 養豚場勤務を希望する若者などいない。明日、事務所に、面接に来るように言われた。アパートに帰ると、店に電話した。 「母が危篤なので、実家に帰ります。すみませんが、明日から二,三日、休ませて下さい」 翌日の午前中に、金良の事務所に行った。同僚は一人のオッサン。相手をするのは豚だけ。しかも郊外。町の人間の群れから逃れたいと思っていた 啓介には、ピッタリの職場だった。 翌日の午後、空いている時間に店に寄り、母の看病のためという理由で、辞表を出した。 店長は、やる気のない啓介が自分から辞めたので、ほっとした。 「母の危篤か。姑息な手など、使いよって」 苦笑いした。啓介はアパートを引き払い、養豚場の宿舎に移った。 「大人になるための儀式や。避けては通らへんで」 安さんは、アマゾン川の奥に住む未開の部族の長老みたいな威厳のある顔付きで言った。 「イエッサー、軍曹。苦しまないように、ひと裂きで、仕留めますよ」
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