P.D.D.

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客室は、和洋室で和室一間にベッドルームが付いて、オーシャンビューのデッキには、かけ流しの露天風呂が備え付けられていた。 あらかじめ宿泊先を聞いてはいたけれど、宿泊費を想像したいような、したくないような、想像以上の豪華さに沙保は圧倒された。なにしろ、沙保には駆け出しの舞台人として節約生活が身についていたから。 「さすがに相談してよぉ…」 「だって絶対反対したでしょ。…嫌だった?」 「嫌じゃないけど…、何の記念日でもないのに?」 「一ヶ月ちょっとしたら沙保の誕生日でしょ。だから誕生日プレゼント」 たしかに六月の沙保の誕生日まではそれくらいだけれど、小さなプライドが邪魔をして、無邪気には楽しめない。彼女は望めばすぐにオーシャンビューの客室だって手にできる。それに、なにもベーグルサンドを選ぶことなんかないのだ。 もしかしたら、彼女にとっては、自分もそれらと同じなんじゃないのか。 一回り離れた年齢に、経済力も違う。 本当はこうやって華やかに暮らしたいのに、自分と一緒にいるせいで我慢させてしまっていた? でもそんな事を聞く勇気は無かった。 「でもあんまり高価すぎるのは…」 「その話はいいから。浴衣、着せてくれるんでしょ?」 このホテルでは、豊富な種類の浴衣を貸し出していて、シックな柄からカラフルなものまで一通り揃っていた。特に花柄には力を入れており、ご丁寧に柄ごとの花言葉まで紹介されていて、女性客やカップルでにぎわっていた。 どっちがいい?と聞かれて沙保が指差したのは、濃紫の地にぶどうの実と葉が白く染め抜かれた浴衣だった。もう一方はよく見もせずに決めてしまったけれど、品がある中にも遊び心のあるデザインで、燈子によく似合った。 少しだけ不満そうな顔をしていたのは、沙保がさっさと自分の浴衣を決めてしまったからかもしれない。 もちろん、かわいらしい花柄を着させられそうなセンサーが働いたから、というだけではない。男女のカップルが盛り上がるのを横目に、何となく居心地の悪さを感じていた。 稽古や公演で慣れているのと同じように、左右の長さを合わせて手際よく帯を結んでいく。帯だけが普通の温泉宿のそれなのが、どこかちぐはぐだった。ふつうの蝶々結びを少し工夫してリボンのような形に整える。 「ぶどうにも花言葉ってあるのね」 「…なんだっけ?」 「何にも見てなかったの?信頼と好意と、陶酔、だって」 その通りでしょ?と言わんばかりに、彼女はくるりと回ってみせた。 別に浴衣といっても部屋着に近いそれだから、簡単に着られる。私が着せてあげる、そう言ったのは、ちっぽけでくだらない見栄だった。 色っぽいほう選ぶんだもん、と笑う彼女はそれでもきれいだった。同じような笑みを返すことはできなかったけれど。 砂を噛むような夕食のあと、燈子はほろ酔いで紅く色づいた頬をほころばせた。 「ふふっ。さっき姉妹だって。私たち恋人なのにね」 「…燈子さんはそのほうがいいんでしょ」 「お昼のこと?」 「…お風呂入る」 「私も、」 「一人で」 そう答えた声の強さに自分で驚いた。最悪だと思いながらどうすることもできなくて、燈子の瞳から目を背けた。
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