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1章 萌黄色の……
カレンダーがアジサイとカタツムリのツーショット写真に変わったばかりの6月2日、月曜日。半袖のセーラー服に着替えた亜沙子が寝室から出てくると、居間のテレビで今年の生き稚児さんと介添え役の禿が決まった、と報じていた。
生き稚児さんとは祇園祭で長刀鉾に乗る男の子のこと。他の鉾は人形だが、長刀鉾だけは今も生身の人間が乗ることになっている。なぜならばこの子が四条通にかけられた注連縄を切ることで、祭りにおける最大の山場、山鉾巡行がスタートすることになっているからだ。
「へぇ。今年の生き稚児さんは10歳やって。一哉とあんまし変わらへんやん」
中学3年になる亜沙子の弟の一哉は小学5年生だから、ちょうど11歳になったところ。ちなみに寝坊助だからこの時間はまだ夢の中だ。
「あの子にもやらせたったら良かったのに」
「生き稚児さん? こんなん選んでもらえるんは、大金持ちのお坊ちゃんだけやで。お支度金やらお心づけやらトータルでウン千万もかかるんやし」
台所から顔を出した母の依子はぞっとした様子で肩をすくめて見せた。
「遥か昔はこういう山鉾町の家の子ぉらが選ばれてたみたいやけどな。今はたっぷり寄付してくれはるおうちのご子息しかできひんようになってんねん」
「生き稚児さんになるだけでウン千万かぁ……あるとこにはあるもんやなぁ、お金って」
亜沙子は爽やかな朝に似合わぬ盛大なため息を吐き出した。
亜沙子の家は万年金欠病だ。
経営する芳埜染料有限会社は室町通りにある創業江戸時代中期という伝統ある染料屋。しかし絹の着物が飛ぶように売れる時代でもない以上、その織物のための糸を染めている染料屋の業績は右肩下がりなのだ。
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