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「我慢できない。痛い。」 家族に泣きついたのは日曜の朝だった。ここ数日の体調不良は、今までで最悪の頭痛になっていた。 肩こりが酷くなり、頭痛になることは半年に一回くらいはあったけれど、今回はそんなものではないくらい酷かった。 耳から上の全てが痛い。 目眩まで始まった。 立てなくて、歩けなくて、トイレはって行った。寝ていた部屋からは廊下の向かいなのに遠い。 昨夜から食事は全く受け付けず、吐くのは胃液しかない。 そんな私を見かねた家族は救急車を呼んだのだった。 救急隊員が話しかける。母がつき添う。 何だか安心した私は「救急車って乗り心地悪いなぁ」と思っていたのが不思議だった。ガタガタと揺れる。心配して見つめる母。でも私は「今、どのへんかなぁ」と外が気にかかっていた。 問診や簡単な検査(腕を上げて目を閉じたり)の後はレントゲン室。所々の記憶は曖昧でボーッとしていた。 「頭は大丈夫のようですが、明日来てください。詳しく検査をしましょう」とりあえずの処置なのか痛み止めと胃薬が処方され帰ることになった。あまり効かない薬に苛立ちながら這いつくばって翌日を待つしかなかった。 翌日の検査はCTを撮って診察。脳神経外科の医師の言葉は納得できるものではなかった。 「検査では異常がないです。原因がわかりません。三日後来てください。」 別の総合病院勤務の娘は心配していた。 「脳外で異常なしなら神経内科だって。紹介状書いてもらいなよ。」 仲の良い医師に相談してくれていたのだった。三日後の診察で紹介状を書いてもらうべくお願いした。診察してもらった病院には神経内科はなかったから、脳外の医師は納得してくれた。 効かない痛み止めを飲みながら一週間たとうとした前日、我慢できなくなった私は日頃しないことをしていた。病院へ電話を入れて紹介状を催促したのだった。書けると言った日になっていた、 「紹介状はまだ書いていただけてないのでしょうか」布団の中から聞いた私への答えは驚きでしかなかった。 「紹介状ですか?まだですけれど。」 他の看護師と話す小さな声が聞こえてきた。 「私、忘れてました。どうしましょう。」 ?が頭の中でグルグル回る。 「忘れてたってどういうことですか!!」 「………」 「あなたにとって何十何百のうちの一つでも、私にとっては唯一の事なんですよ!!」私は投げつけるように電話を切りました。 ほどなくあちらから電話がありました。 「明日には書けますのでとりに来てください」 電話に出たの母でした。私は出ることなどできませんでした。 翌日やっと手にした紹介状。それを持って神経内科の診察はさらにもう一日が必要でした。
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