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フカは仰向けのまま船の上で暴れていた。身体を激しくよじって、篭やら縄を蹴っ飛ばしている。
「まだ子供だ。作造と同じくらいかもしんねえな。こんだけ格闘して、まだ元気とはな。ま、こいつは面白がって釣られる魚に齧りついてたんかもしんねえな」
五島はそう言い、船の尾へ何かを探すように場を離れた。作造が膝をついた目の前で、まだ子供のフカは暴れている。真っ黒でまんまるの目が作造を見つめていた。口は血まみれだ。
「おめえ、おれの大事な漁さ邪魔して遊んどったんかぁ」
作造が話しかけると、子供のフカは激しく暴れまわってひっくり返った。仰向けが苦しかったのか、俯せになるとすっかりとフカは大人しくなった。エラを動かしながらじっと作造を見つめているように見える。
「なんだ、おめえ。大人しくなっちまって。言葉さ分かるのか」
子供のフカは左右のヒレをふらふらと動かした。
「あはは。おめえ、話しとるみたいじゃ。おめえ、もしかして一人ぽっちか? もしかして、とうちゃん、かあちゃんがいねえのか」
そこへ五島が戻ってきた。大きな刃物を持ち、フカの横に座る。
「それにしても、よう上げた。子供のフカは癖がないから売れる。作造の立派な釣果じゃ」
フカを絞めようと、五島が刃物を刺そうとする。その手を作造は止めた。
「五島の兄貴……こいつは逃がす。こいつ、海ん中ひとりぽっちやったんかもしらん。おれとおんなじ、海でとうちゃんかあちゃんおらんで、おれと魚の取り合いこをしたかったんかもしれん」
作造はつぶらな瞳を向ける子供のフカを見ながらそう言った。フカは背びれをばたつかせて、篭を蹴っ飛ばした。いたずらしているようだ。
「ふふ。そうかあ。作造がそうしたかったら、そんでええ。まあ、今んとこは作造よりこいつのほうが取り合いこでは勝っとるな」
五島はそう言って笑った。
作造はまだ元気有り余る子供のフカを抱き上げた。丁寧に針をとってやる。
「よおし、ほんじゃあ明日また勝負じゃ。明日は取り合いこ負けんぞ」
鋭い歯を見せながら、フカは作造と目を合わせた。
勝てるわけないだろ、阿呆。そう作造に告げているようだ。作造は笑った。
作造はフカを海へ放った。
静かな波に水飛沫があがり、フカは深くを目指して泳ぎ始める。身体をくねらせながら、その姿は小さくなっていく。身体をくねらせ、背びれが左右に揺れていた。
さよなら、また遊ぼう。そう言っているように見えた。
「達者でな。また明日じゃぞ。忘れんなよぉ」
嬉しそうにフカを見送る作造を見て、ふと五島は空を見上げた。
いつの間にか空から雲が消えていた。まんまるの月が昇っている。五島は空に向かって心で呼び掛けてみた。おい、我が子が久方振りに笑っとるぞ。天から見てやってくれい。こいつは日々成長しとるぞ。良い子じゃ。あんたらの子は良い子じゃぞ。五島はほろほろと落ちる涙をとめられなくなった。
「兄貴ぃ、なにを泣いとる。港さ、帰ろう。少し休んでまた漁じゃ。フカにはもう負けん。明日からはおいらが魚の串焼きを兄貴にご馳走するんじゃ」
「ああ、帰ろう。作造の魚、さぞ旨かろうな。楽しみじゃ」
了
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