「私は私を 生きるだけ」

1/1

7人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ

「私は私を 生きるだけ」

友人に、ある業界で仕事をしている女性がいます。 今日は、彼女の転機とも言えるエピソードです。 (彼女には、予め許可をいただいています。) 彼女の仕事は、主に毎日人と接することで成り立つものでした。自分とは異なる人間を相手にすることは、大変な分、やりがいや嬉しいこともたくさんある・・・社会人になったばかりの彼女は、そう信じていました。 数か月後、彼女は絶望の淵にいました。きっかけはささいなもの・・・というより、遅かれ早かれ起こっていたであろう問題が、一気に彼女を襲ったのです。彼女自身の経験不足・職場環境・関係する人間側の問題・・・いくつもの理由が重なり、やる気に満ちていた彼女の健康も心も脅かすようになりました。 そしてついに、彼女は自身の手で体を傷つけてしまったのです。 「何が正しくて何が間違っているのか、判断することすらできなかった。」と、彼女は当時を振り返って言います。ここまで追い詰めた周囲への怒り、何より自分で自分を消し去ろうとした自分への驚き・後悔・憤りを隠せず、社会復帰が難しい時期が続きました。 彼女は一度業界を離れ、定期的な通院や療養を経て、現在は復帰し、仕事を続けています。 「責任能力を問えない以上、周囲を訴えることは現実的ではなかったし、何より私の力不足が原因だったと思うわ。でも・・・人間って嫌なものね。どれだけそう言い聞かせても、相手を心から許すことができない。それに、過去の自分のことも、充分に受け止められないの。」 彼女の体には、傷の後がいくつも残っています。少しずつ楽になった・・・とは聞きますが、一生消えない傷を見ると、やはり悲しくなるそうです。 「そういう時は、どうするの?」 そう質問すると、彼女は言いました。 「そういう時は、無理に許そうとはしないの。我々は、環境も価値観も生きてきた時間も違う人間なのだから、ぶつかったり傷つけあったりするのは当然だし、どちらが正しいか間違っているかを決めるのは論点ではないと思う。それに、自分が傷つけられたこともこれまた事実だから。無理やり許そうとするより、『許せない』という気持ちに気付いてあげて、距離をとってみる方が、賢い方法だと思ったわ。」 続けて彼女は言います。 「私の人生は私の人生であり、誰かの人生は誰かの人生。恨んだところで、その誰かが変わるわけではない。だったら、私は許せない誰かのためより、ここまで生き抜いた自分のために時間を使いたかったの。」 彼女の顔は、以前と比べ、随分とすっきりしていました。 理不尽な相手や周囲に対し、怒りを募らせてしまうことはごく自然なこと。 ただ、気にしすぎると自分自身が疲れてしまいかねません。 「こちらから距離をとる。そして、自分の人生に集中する。」 彼女は、を歩んでいました。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加