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朝起きて伸びをすると体のあちこちにわだかまりを感じて、たぶんこれは、膨れ上がるほどたくさんの情報が生み出されているということ。
情報、いえそれはむしろ音のようなもの、言葉に対する音の関係のように、情報を構成するその前のちいさな兆し。
だと思う。
なんだかざわざわする、と言って彼女はきゅうと縮こまった。
膨張する力のせいで散り散りになる体の部品を抱きとめているようで、それは、触れることによって自己を知り知らしめるための所作でもあった。
われわれは、自分が何でできているか、とか、どのようにできたか、とかを知らない。
知識として分かっていてもこの目で見たことはないから、それは知らないのと同じこと。
見て触れて知っていることでも内側からその実際を知らなければ、それは分からないのと同じこと。(そこに触れるのと触れられるのと二重の感覚がある限り、純粋で単一な認識はありえない)。
そう、他のなにかに、触れられて、はじめてわかる。
それは光。
あの光に照らされてはじめて形は形足り得るのだ、と思う。
それは同時に、光が照らすものを求めているということ。
光は常に闇とともに在るけど、むしろ一体のものだけど、例えば大きなビルとか、そういうものがあって初めて影は居場所を得る。
夜に沈むビルたちの窓の灯りは好きだった。
だけど、あのあたたかな生活が憎い。
遠くから小さな光が浮かぶのを眺めるだけでよかった。
わたしは毎晩眠りながら、ひたひたとビルをかかえている。
彼女は体を起こし手で水を掬って、ごくごくと飲み干した。
ふう、と強く息を吐くと顔をゆがめながらまたべッドに倒れこむ。
今彼女の内には照らされるべきものが生まれ始めているのだろう。それはあまりにも急速に拡大しすぎて宿主を食い破らんばかりだ。
ひとつひとつの粒(それは原子と呼んでもいいかもしれない)は、まだ規則を見つけられずに右往左往している。
それらが光を受けて反発したり接近したりするから、たびたびにエネルギーが生まれる。うねって渦を巻いておおきな無秩序になる。
それを抱きしめられるのは彼女だけだ。意志を浸透させて、ただしく繋がれるようにそれらを導く。
それは慈愛。
わたしの知っていることを望むように表現する愛の業。
好きな色しか塗らない幼稚園のお絵かきと相も変わらず、わたしは白色の絵の具だけ買い替え続ける。
これは許されないこと?
あなたが許すならすべてが許される、そういう摂理でしょう。
やさしいね。
彼女は愛おしそうに余計に体を小さく丸めたので、まるで生まれる前の胎児のよう。
対して腹は窮屈そうだった。
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