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『……夏也』
パンを並べ終えた銀胡が声を掛けてきた。
『……またお前の家に行ってもいいか?』
人間の姿に変身している彼は、耳の生えていない頭を掻きながら言った。
狐の親子は、私の作る料理を随分気に入ってくれていた。
『今度、俺にも教えてくれ。ええと、おむらいすの作り方……』
『ええ、いつでもお待ちしてます!』
思いの外ご近所同士となった彼等は、実はあの後も割と頻繁に我が家を訪れていた。
私は再び窓に目を向ける。くりくりした大きな目が此方を見つめていた。
『なーや!』
『こむぎ』
小さな手を精一杯伸ばして、子狐は私を歓迎する。私も微笑みながら手を振った。
(今度はどんな卵料理を作ってあげようかな?)
親子が尋ねてくる日は、うちの神様の好みを差し置いて、こむぎの好みが最優先される。
誰かの為にご飯を作る事は、いつしか私にとって大きな楽しみになっていた。
叔父の手帳に書かれたレシピは、いつも私を助け、誰かの笑顔と繋げてくれる。
彼が亡くなっていても、この手帳を通してずっと自分を守ってくれているようにさえ感じた。
ただ、そんな手帳の出番も最近は少しだけ減ってきている。
『さて、それじゃあ今日はどのパンにしようかな?』
可愛い看板狐に釣られて、我が家の食卓はすっかりパンの日が増えてしまったからだ。
完
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