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花が散る病室よりーその1ー
「けほっ」
おばあさんみたいに背を丸めて咳き込むと、喉がひどく痛んで、手が赤くなる。
薬品の香りが鼻を撫でる病室。左の隣人はカーテンで見えないけれど、多分おじいさん。右手を伸ばせば届く窓は締め切られている。
景色と空模様だけ変わり続ける。桜がただ散り続けるから、真横のテレビより映像らしくて、もうよくわからない。
ご飯の時以外開かない直角のカーテン。
使い方のよくわからない黒いテレビと鮮やかなテレビカード。
患者衣から覗く、血色の悪い両腕。
「……気付いたら棺桶に入ってたりして」
縁起でも無い。
「あーあ、学校行きたいな」
邪魔にならないように呟いて、窓を開ける。
「わ」
急に風が吹いて桜が視界を覆うかのように舞った。
「ッ」
柔い花弁が眼球を素早く撫でた。堪えていた涙が滲む。
「……いたい」
ベッドを軋ませ腰を下ろし、滲む視界で桜を捉える。
「……」
瞬き数回、溜息一回。
徐々に冷える瞼から下ろした手は布を撫で、その下の鉄パイプに止まる。
「……怖い、なあ」
目の痛みを超える何かを眠っている間に味わって、目覚めたらその後味をゆったりと味わう。
「……死んじゃう、のかな」
恋も半ば、携帯は無言を貫き何も知らせず。
「……簡単って言われても、怖いよ」
想いは箱の中、少女は拙く呟く。
「……死にたくない、なあ」
お気に入りの人形はお留守場、両親は仕事。
たばこの代わりに匂う薬品。
自室より色の少ない病室。
その中でも唯一空色を湛える携帯は安堵と不安を呼ぶ。
「……簡単って、言われても」
恐怖が涙腺をくすぐった。瞬きしても視界は滲み続けた。
「……こわいよ」
紺色の制服は一か月も着れず、同級生の顔すら覚えられていない。
鼻を啜り涙を拭う。怖がっても仕方ない。
「あと、一週間……」
横の小さなカレンダー、歪な赤い丸。その上には月曜日の三文字。
「乗り越えなきゃ、なんにもできないよね」
拳に力を入れ、口角を上げる。
「死ぬ気で、頑張ろう」
前方から吹く風は視界を桃色に染め、桜は静かに、けれど大げさに花を散らす。
瞼を下ろして風を肌で受け止める。
怖くないと心中で唱え続けて。
「それでよいのですか?」
「……え?」
瞼を開くと、そこには一面の黒が広がっていた。進むことを阻むような、一面の黒が。
「怖がることだけに時間を消費しているだけで、よいのですか」
鼓膜を撫でるような低音が響く。声のもとは。
「骸、骨……?」
「……ええ、僕は骨ですよ」
「ほ、ね……」
「はい、骨です」
少女は人形のように繰り返し呟いた。
「ほね……骨……。骨!?」
わなわなと震え、あるかもわからない目を見つめる。
「し、死神ッ!?」
「いえ、僕は」
「わたし、死んじゃうの!?」
胸の前で祈るように震える両手を組み、少女は俯く。
「……まだ、生きさせて、ください」
「……」
骸骨は暗闇から白い手袋を二本伸ばし、手を包み込む。
「怖がらないでください。まだ貴女は生きられますよ」
「ほん、とに……?」
「はい。本当に」
優しく包み込むような低音に、手の震えは止まった。
恐怖の代役として、安堵と呼吸音、大袈裟な心音が少女の意識を蝕んだ。
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