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薄暗い灯台の下。
真っ赤な薔薇が頼りない灯りに照らされた。
この花が咲いたのはいつ頃だったか。つい最近だったような気がするし、遠い昔だったような気もする。
ぼうっとしていると、生臭い鉄の匂いが鼻をついた。
『逃げなくて良いの?』
逃げる。一体何から。
私はたった今、迎え入れたのだ。
幸福を。希望を。そして——十字架を。
逃げる必要などない。
これが私の。
正義なのだから。
清く正しく。
それが父の教えだった。
そしてその教えを必死に守ろうと、私はなんでもやった。
風紀委員、生徒会役員。ボランティア活動……。
清く正しいと思う事はなんでもやった。
周囲の目にはさぞ立派な優等生に写っていたのだろう。廊下を歩けば誰もが私を褒め称えた。尊敬の眼差しで見てくれた。
それ自体には悪い気はしない。むしろ嬉しく思う。自己肯定感の高まりを感じていた。
……だが、彼らは知らないのだ。
私の真意を。
採点し返却された定期テストを私は父に提出した。
テストの点数はいつも満点だ。けれど父はそれに対して何も言わない。褒めもしない。ただ成績を確認し、丸めてゴミ箱に放るだけ。
以前、1問だけ答えを間違えていた時は3日間食事を与えられなかった。
様々な活動も、テストも。完璧にこなして初めて人間として認められる。別に周りにチヤホヤされたい訳じゃない。優等生として尊敬されたい訳でもない。
ただ、生きたいのだ。
例えそれが、自分を殺すことになっていたとしても。
『それで良いの?』
ふと浮かんだ疑問がチクリと胸を刺す。私は慌ててソレを振り払った。
見てはいけない。気付いてはいけない。知ったら足がすくんでしまう。歩んで来た道を引き返してしまう。
ただ前を向いて歩けば良い。たったそれだけの事だ。何も難しい事はない。そう、疑問を覚える必要なんて無いのだ。
自分のテストがゴミ箱に捨てられるのをただ見守る。紙が丸められていく音だけが鼓膜に届いていた。
だからだろうか。突然鳴り響いた電話の着信音に、肩が震えるほど驚いてしまったのは。
電話に出た父はこちらに目配せをして、部屋に戻るよう促した。
私はそれに従い、父の書斎を出ようとした。だが、その時聞こえてしまったのだ。「不正がバレたのか」という一言が。
部屋に戻る途中、父が一目置いている家政婦とすれ違った。彼女なら何か知っているかもしれない……。加速していく鼓動を押さえつけ、私は彼女に駆け寄った。
「お嬢様? いったいどうし——」
「父さんの不正って何」
……彼女の表情が一瞬だけ凍ったのを、私は見逃さなかった。
「旦那様が不正などなさる筈ありませんよ」
予め決められていたかのような言葉を発し彼女はにっこりと微笑んだ。
『清く正しくって、なに?』
誰かが耳元で囁く。
私はその誘惑に、ゆっくりと身を預け始めていた。
翌朝。テレビのニュース番組ではある企業の不正が報じられていた。家の前にはマスコミだと思われる人たちが沢山集まっている。家政婦たちが必死に追い返そうとしていた。
父の姿は見当たらない。恐らく隠し部屋にでも篭っているのだろう。
誰もいなくなった広い空間。私はそれを嘲笑い、キッチンへと足を運んだ。
そして、銀色に輝くソレを手に入れる。
不正の内容など関係ない。清く正しく。ずっとそう言い続けていたのは父さんだ。
正しくないものは、消さなければならない。
隠し部屋への行き方は簡単だ。
書斎の本棚の裏。そこに扉がある。ミステリー小説好きの父らしい趣味だ。
私はなんの躊躇いもなく、部屋の中へと足を踏み入れた。
「ああ、真理衣。脅かさないでくれ……」
父は、入ってきたのは私だと知り、胸を撫で下ろしていた。
なんて情けない姿なんだろう。普段の威厳に満ちた父とは大違いだ。こんな男に十数年も支配されていたというのか。
この隠し部屋も、よく考えればこの時の為に作られていたのかも知れない。今まではただの趣味とばかり思っていたが、その可能性は充分にある。
「……あなたのおかげで、私は学生生活を無駄にしました」
「は? なにを言って——」
「これまで友達もおらず、娯楽もなく、ただ勉学に励んで参りました。あなたはソレを、正しいと言いました」
右手に力がこもる。
「なら私は、正しさを全うしましょう」
次の瞬間、父の右目に小ぶりの包丁が突き刺さる。
「——ッ!?」
声にならない悲鳴が上がる。だが私は構わなかった。
「あなたは、邪魔になった従業員を自殺に追い込んだこともあるそうですね」
左目に。
「政治家や従業員の家族から多額のお金も貰っていたそうな」
腹部に。
「あなたの言う正しいとは、いったいなんのことですか」
無心でその体に包丁を突き刺して行く。
何度も。
刺しては抜いて。
刺しては抜いて。
刺しては抜いて。
ただその繰り返し。
そして、父の意識がまだあることを確認して。
嘘吐きなその舌を。
切り落としてやった。
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