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ベンチに座ると、北沢は満天の星空を見上げ、男の子に半人半獣アイギパーンと葦笛シューリンクスの物語をおとぎ話風に語ってやった。暫くすると、男の子は欠伸をし、うとうとし始めた。北沢は男の子を抱き、ゆりかごの如く揺らした。
・・・・来てくれるだろうか、いや、信ずるんだ。あの星々に祈るんだ。亡くなった妻が甦るんだ。来なければ、むしろ、俺は彼女を探し回りたいくらいだ。
ふと気付くと、小唄が聞こえて来る。隣の小唄稽古所のほの暗い灯り窓から、さも眠たげに夢路を漫ろ歩くように聞こえて来るのだった。それは家元による色気を漂わせた弾き唄いだった。「川風に つい誘われて涼み船 文句も いつか口舌して 粋な簾の風の音に 漏れて聞こゆる忍び駒 意気な世界に照る月の 中を流るる隅田川....」
・・・・またか、"川風"か、もういい加減にしてくれ、.....
北沢の亡き妻は小唄を習っていたのだった。
・・・・ああ、彼女を抱きたい。本当は抱きたくて堪らないのだ。死んだ女房と顔かたちが重なってくるんだ。いつも俺に寄り添ってくれた。涙をともにしてくれた。俺の妻になって欲しい。これは理屈なんかではないんだ。
その夜、北沢は浴びるほど酒を飲んで寝込んだ。亡き妻の遺影を抱きながら。
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