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どうして西郷隆盛の顔なのよ…、そうなのか、同じ病室で父と母は奴を見ている。奴の顔形が西郷隆盛に酷似していることを叔父に喋ったんだ。‥‥あの夜、奴は、避妊具も付けず、病室のベッドで、わたしを襲おうとした。わたしに妊娠させるつもりだったんだ。わたしは怖くて病院から逃げるしかなかった。あのとき、パトカーと遭遇しなかったら、わたしは奴に力づくで病院に連れ戻されていた。連れ戻されたあと、どうなったか、想像するだけでも背筋が凍る。
右も左もわからずに、わたしは初恋に溺れることを期待していた。相手は中年の子持ちの男やもめ、女に関しては古強者だったんだ。なのに、わたしは好奇心にまかせて奴の胸に飛び込んだんだ。なり振り構わずに、わたしは焦っていた。
あの夜と同じ、こんな雨の降る夜が怖くてならない。奴は現れる、そんな気がしてならない。
誰なのか?あの街路樹の下を歩いて来る男は?子供を連れている。あの歩き方、身体付きが奴に似ている。傘を傾けた。こちらをじっと見ているような気がする。赤いバックを持っている。あれは、わたしが病室に置き忘れたバックなのかもしれない。この家の玄関のブザーを鳴らすというのか、それだけは止して欲しい。どうすればいいのだろう、ああ、人違いであって欲しい。いや、こうなったら、わたしこそが奴を怖がらせてやる。そうだわ、ちょうど良かった、叔父にスティーヴン・キングのホラー映画のワンシーンの真似事をしてもらうんだ。突然、窓を開けて、ピエロ顔の叔父が外を見るんだ。わたしは懐中電灯で叔父の膝元から叔父のピエロ顔を下から照らす。奴はそれに気づく。そのとき叔父は奴を見ながら ニタッっと笑うんだ。奴は怯えて逃げ出すだろう。
ああ、駄目だ、もう遅い、玄関からブザーの音が鳴っている。母の声が聞こえる。母が玄関に出たようだ。何を喋る気なのだろうか、こうなったら母の応対に頼るしかない。最悪の場合、警察に電話しよう。ああ、わたしは愚かだった。こんなことになろうとは……。
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