出会いのとき

4/9
前へ
/58ページ
次へ
 男は挨拶代わりに、スーツの胸のポケットから名刺入れを取り出し、彼女に名刺を差し出した。顔を赤らめ、うつむいて。 「私は北沢優志郎(きたざわ ゆうしろう)という者です。東京の台東区蔵前で鮨屋をやっております。近くにお越しの際は、よろしかったらお寄りになってください。今月末には隅田川の花火大会があります。出来れば、ご一緒に花火でも観たいです。この子も喜ぶと思います」  彼女は険しい表情のまま名刺を受け取った。 「ええ、出来れば…」  ・・・・たぶん嫌々なんだろうな。俺を警戒しているのは明らかだ。でもだ、俺は信じられないほど押しが強くなりつつある。こんなことは久し振りだ。亡くなった妻との出会いのときもこんな風だった。 「本当に助かりました。息子にあのまま泣かれたんでは私の立つ瀬はありませんでした」 「なんと言ったらよいでしょうか、わたしは今、禁断の世界に立ち入ってしまったような錯覚に陥っているんです。今、この状態をどう収拾していいのか皆目分からないのです」 「禁断の世界ですか、面白いですね。いえ、いえ、只々、感謝あるのみですよ」
/58ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加