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私は呂満盛子、二十八歳。ロマンモリコ−−私の親は、一体どんな思いを込めて、私に盛子という名前をつけたのかしら。
ところで今、私の家には象がいる。大阪市中央区松屋町に建つアパートの四〇一号室。間取りはワンケー。十畳のリビングには、黒い革張りのソファに、近所の家具屋で買った木目調のコーヒーテーブルがあって、ベランダに面した大きな窓の横にダブルベット、そして対面の壁側には三十二型のテレビがある。シンプルだけど、ゴテゴテ飾った部屋が嫌いだから、これくらいがちょうど良い。そして明るめの色のフローリングが見える余ったスペースには、白いカーペットを敷いた。そして今、この上には一頭の象が立っている。背中が天井に着きそうなくらい大きい。耳が大きめなので、アジアゾウだろうか。象のことはよくわからないけれど。長い鼻を呑気に動かして、部屋に置いてある、あらゆる物の匂いを嗅いでいる。
ことの発端は、『こんなはずじゃなかった・・・!ネット通販で届いた、思ってたのと違う商品』というネットの記事だった。目立ちたがり屋の私は、写真付きで面白おかしく書かれた数々の失敗談を読んで、自分もこういったネタの一つや二つ欲しくなり、巷で話題の某フリマアプリを開いた。
元来私は、一度他人の手に渡ったものを買うのが好きではなかったし、周りの人みんなが話題にしている時点で、フリマアプリを使うことにあまり乗り気ではなかったのだが、一度、クローゼットの奥に眠っていた、もう使わないヘアアイロンをどうにか処理したく、ただ捨てるのも勿体ないので、フリマアプリに出品したら、わずか十四時間でこれが処分できたばかりか、ちょっとしたお小遣いが手に入ったので、その成功体験から、最近では頻繁にこのアプリを利用していた。
出品アイテムをだらだらと眺めていると、私は税込二万九八〇〇円で売っている象を見つけた。商品の詳細ページには、前後左右から撮影されたリアルな象の写真が四枚、上がっていた。「象です。」という簡潔すぎる商品説明や、皮膚に生えた毛のテクスチャーさえ分かるくらいのリアルな象の写真に、言い知れない怪しさを覚えた目立ちたがり屋の私は、税込二万九八〇〇円はちょっと高いかなと思いつつも、ネタとしてバズったりするなら、悪くないかもしれないと思い、ちょうど給料日後だったこともあり、思い切って買ってしまった。もし本当の象が届いたとしても、その象を使ってで有名なユーチューバーになり、収入が入ってくるかもしれない。そんな人生も、まあ悪くないと思った。
「発送完了」のお知らせが届いて二日後、日曜日の午後だった。やることもなく、家で煎れたコーヒー片手に、コンビニで買ったもちもちロールケーキを食べながらぼさーっとテレビを見ていたら、一階エントランスからの呼び出し音がなった。受話器を取ると、「宅急便ですー。お届け物に上がりましたー!」ハリのある元気な若い男の声が聞こえたので、解錠ボタンを押した。数分後、外から何の足音もしないうちに、ピンポーンとなったので、ドアを開けると、大きな象が目の前の通路に立っていた。
象は、まるでうちに届けられるべきことをきちんと理解しているかのように、私の脇を静かに通り抜けて家に上がり、キッチンとリビングを隔てるドアを、長い鼻を使って器用に開けて奥に進んだ。私は、さっき一階からモ受話器越しに話をしたはずの若い男の配達員を探したが、どこにも見当たらなかった。諦めてドアを閉め、施錠をして中に戻った。
私は本当に来てしまった象に、ただただ呆気にとられながらも、象の周りを一回りして観察してみた。すると、象のちょうど腰のところとでも言ったら良いのか、尻尾の上の丸みを帯びたあたりに、小さな紙が一枚、セロハンテープで貼ってあるのを見つけた。「象の肌はセロハンテープがくっつくのか」などと考えながら、その紙をはがして見てみると、それは配達伝票だった。配達先のところに私の名前と住所が書いてあり、依頼人情報は匿名になっている。特記事項の欄には「よろしくお願いします。」とだけ印字されてあった。私は何をよろしくされたのだろうかと思ったが、ともかく私は、この象とこのアパートで共に暮らしていく決意を固めた。
名前は「サフィード」にしようか。ヒンディー語で「白」という意味だ。サフィードは白い象ではなかったけれど、なんとなくカッコいいかなと思った。ところで象は毎日何を食べるのだろう。とりあえず、冷蔵庫に一個残っていたあったトマトをあげたら、嬉しそうに食べた。
私は、フリマアプリを開き、この象の取引のページを開いた。出品者は「Marico」さんという人だった。評価は五.〇。レビューを見てみると、「感じの良いやり取りでした!」「大切に使います。」「ありがとうございました!」など、ポジティブなレビューばかりが並んでいる。私も、つい五をあげてしまった。この象のやりとりで、特に不満に感じたことはない。思ったものと違うどころか、写真の通り、正真正銘の象が届いたのだ。
私は考えていた通り、SNSのアカウントを作り、サフィードの写真や動画を撮って投稿しまくった。期待を上回るスピードでフォロワーの数が増え、一週間足らずでフォローの数は一〇万を超えた。
調子に乗った私は、他にもネタになるようなものはないか、Maricoさんが他にどんな商品を出しているのか気になって見てみた。もしかしたら、さらに変なものを買って、動画に使えるかもしれない。安いものでは百五十円の「五年前に一途な真面目系イケメンからもらったラブレター」から、高いものは十八万円の値がついた「砂でできたアマティのバイオリン」まで、もう何がなんだかよくわからないものを売っている。アマティのバイオリンは普通に買うと億を超えるらしいから、砂とはいえ十八万円は安いものだと思ったが、さすがに今の私には、ポンと出せる金額ではなかった。
だらだら見ていると「ロマンモリコ(女)」という商品が出品されているのを見つけた。呂満盛子。間違うはずのない名前。ハッとして、商品の詳細を開く。
ロマンモリコ(女)です。二十八歳。お部屋のインテリアや、カラス除けとしてベランダなどにおいても良いかもしれません。右肘に一箇所傷がある以外は、そこそこ良い状態です。
自分の右肘を見ると、昔自転車で滑って大ゴケした時の深い傷の跡がある。「そこそこ良い状態」って、どういうことなのかしら。喜んで良いものかわからなかった。それに「部屋のインテリア」はともかく、「ベランダのカラス除け」ってどういうことなの。詳細を下にスクロールすると、サイズの詳細も書いてある。
高さ:一六五センチ。横(最大):三十六センチ、奥行:二十三センチ。重量:五十五キロ。
自分の横幅と奥行は測ったことがないのでわからなかったが、高さと重さに関しては、三週間前、会社の健康診断の時の身長・体重と間違いなく合致していた。しかも値段は五〇〇〇円。格安じゃないの。サフィードよりも全然安い。私は少しムッとした。
商品画像は二枚、ただ立っている私を正面と背後から撮った写真だった。いつの間にこんな写真を撮ったのか、全く思い出せない。真面目な表情をした私が着ているのは赤地にハイビスカス柄が入ったアロハシャツに、濃いめの色のしたジーンズ。こんな服持ってたっけ。気になってクローゼットを開けると、右側の一番奥に、赤いハイビスカス柄のアロハシャツがかかっている。
翌日の午後、サフィードを家に残して仕事に来たものの、出品された「ロマンモリコ(女)」の経過がどうしても気になってしまい、昼休みにフリマアプリを開いた。見ると、価格は税込四〇〇〇円に変わり、大きく「Sold Out」とゴシック体の文字が表示されている。四〇〇〇円に値引きして売れたということか。
買ったのは誰だろう。すぐにはわからなかったが、コメント欄を見ると、一件だけ「四〇〇〇円なら買います。」と書いてあるのを見つけた。たぶんこの人が買ったのだろう。「ぬら☆るんたん」というアカウント名だけど、どんな人なのかしら。「☆」で中和されているけど、ちょっと気持ち悪い名前。男か女かさえもわからない。
夕方になって家に帰り、コンビニで買った焼豚ゴロゴロチャーハンを食べていると、一階からの呼び出し音がなった。受話器を取ると、この前と同じ若い男の声が、今度は「集荷にまいりましたー。」と言った。数分すると家のピンポンが聞こえた。まさか本当に私を集荷に来たのかしら。ドアを開けるべきか迷ったが、目立ちたがり屋の私は、この経験を面白いネタにできるのかなと思って、コーヒーテーブルの上にあった携帯を掴み、動画を撮りながら、ドアのロックを開け、金属のノブをひねった。
−完−
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