第二章 ダブルブッキング

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「蒼、芹沢圭はいつ退職したの?」  食後のコーヒーを飲みながら、私は単刀直入に聞いた。  隣で、蒼は読んでいた雑誌から目を上げた。 「は……?」と言って、蒼は少し考えてから聞き返した。 「誰?」 「芹沢圭。SHINAに転職したんですって?」  蒼は深いため息をついた。 「侑か……」 「なるほど。侑に芹沢の情報(データ)を弄らせたのね?」  蒼は雑誌を置いて、コーヒーのカップを手に取った。 「ん? 侑から聞いたんじゃないのか?」 「違う」 「じゃ、何で知ってる?」  私は、蒼の問いには答えなかった。 「それよりも、芹沢がSHINAに行った理由を教えて」 「どうして?」 「は?」 「どうして知りたがる?」  私たちはお互いの仕事には干渉しない。グループ会社とはいえ極秘は極秘だし、お互いのやり方が認められないこともある。世間話や情報交換として仕事の話題は避けられないが、お互いの領域に踏み込むことはしない。  それなのに、私は今、蒼の仕事に干渉しようとしている。彼が疑問に思うのは、至極当然のことだ。 「鉢合わせ(ダブルブッキング)よ」 「ダブルブッキング?」 「私も部下をSHINAに転職させたの」 「はっ? 何で?」 「だから、それを私が聞いてるんじゃない」  私と蒼は顔を見合わせて、無言のうちに探り合いをした。そして、お互いに誤魔化せないと悟った。  仕方がない……。  先に私が口を開いた。 「前に話した、妹がT&Nにいる先輩がSHINAの社長なの」 「二人で食事した大学の先輩?」  根に持ってる……。  私は続けた。 「そ。椎名蓮さん。妹は古賀伊織。この一年は私の第二秘書をしていた」 「苗字が違うのは親の離婚か?」 「ええ。彼らの家庭は複雑でね。伊織の父親は四回も離婚しているの。そのうち二回は先輩の母親となんだけど、二人は血の繋がった実の兄妹よ」 「で、妹を兄の会社に入れた理由は?」  私は蒼と向かい合うように、ソファに座り直した。 「SHINAの極秘情報が売買されているらしいの」  私は伊織をSHINAに送り込んだ理由を話した。伊織がいかに優秀であるかも。  蒼は黙って最後まで聞いて、ポツリと呟いた。 「マジか……」  そして、蒼は芹沢をSHINAに送り込んだ理由を話し始めた。  SHINAの副社長・市川綾香が満井くんの従姉であること。SHINA内の横領事件を解決するために、芹沢圭を送り込んだこと。蒼がSHINAとの専属契約を考えていること。 「つまり、今回の件は社長と副社長がそれぞれに独断で動いているから、情報は共有されていないのね」 「ああ。市川綾香は横領事件を自分の責任において、秘密裏に解決したいようだ」  私は少し考えてから、聞いた。 「SHINAの調査……侑に頼んだのよね?」 「広告デザインに関連してSHINAの調査報告は手元にあったんだ。それ以上に関しては侑に頼んだ。一時的に芹沢の経歴を改ざんすることも」 「そう……」  何も言ってこないってことは……侑は気づいてないのよね……。  いくら侑でも、SHINAの実績や社員についてを調べたくらいでは、気づかないだろう。  わかってはいても、不安は拭い切れない。 「俺がSHINAに関わっていること、侑から聞いたんじゃないのか?」 「え……? あ、侑じゃないわ」 「じゃ、どこから?」  私は咄嗟に答えを二、三考えて、その中の一つを口にした。 「自分で調べたのよ。SHINAの全社員の情報の中に見覚えのある名前を見つけたから……」 「そうか」と言った蒼の目は、明らかに私の微妙な焦りを感じ取っていた。 『彼』のことになると冷静さを欠いてしまうことは、自分でもわかっている。 「で、どうする?」  蒼に聞かれて、私は気持ちを切り替えた。  今はダブルブッキングの対処が最優先! 「芹沢にはどういう指示を?」 「当分はSHINAでの業務に集中するように言ってある。その上で、副社長では見聞きできない現場の情報を集めるようにと」 「伊織にも同じ指示を出したわ。つまり、この数日でお互いの正体に気付くことはないわね」 「おそらく」  どうする……?  伊織と芹沢に互いのミッションを伝えて、互いの邪魔をしないように警告するか協力させるか……?  それとも……? 「咲、何を考えている?」  考え耽っていた私を、蒼が引きつった表情で見ていた。 「え?」 「なんか……ヤバいことを考えてるだろう?」 「ヤバいこと?」と言って、私はニッコリと微笑んだ。 「まさか。ちょっと興奮する(スリリング)なことよ」 「激ヤバってことか……」  蒼はため息をついて、前髪をかき上げた。  SHINAにおける伊織と芹沢のダブルブッキングは、当面様子見ということで蒼を納得させた。  蒼は二人に互いの立場を知らせた上で、協力させるべきだと言った。私はそうすることはいつでも出来るから、今は二人の実力を試したいと言った。  結果、私が二人の完璧な援護(バックアップ)を約束し、蒼は了承した。  私と蒼はこの件に関して、情報を共有することも確認した。そして、私たちの協力体制を誰にも口外しないことも。
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