第六章 近距離恋愛

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 土曜日。  お弁当を届ける手段もないのに、作ってしまった。  フロントで頼んだら、届けてくれるかな……。  それとも、いっそのこと、自分で届ける?  満井くんから、ホテルの部屋番号は聞いていた。  蒼が出て行って二週間。  お弁当箱にチョコレートが入るようになって五日。  チョコレートの残り数は、私たちの会える距離にいながら会えずにいる近距離恋愛のタイムリミットまでのカウントダウンのように思えた。  毎日交わされるメッセージは少しずつ増えていた。 『おはよう』『おやすみ』が、翌日には『行ってきます』『ただいま』に増え、『今日は疲れた』とか『会議が長引いてる。早く弁当を食いたい』なんてメッセージが送られてくるようになった。  行き場をなくしたお弁当を眺めながら、そこに入りきらなかったおかずをつまむ。  蒼の好きな唐揚げを、温かいうちに食べてもらいたいと思っていたところに、スマホが着信を告げた。  芹沢くんからだった。  話があると言われて、いいことを思いついた。  私は芹沢くんと会う場所を、蒼の泊まっているホテルの一駅隣のカフェに指定した。 「明日、伊織にプロポーズします」  注文したコーヒーが届けられる前に、芹沢くんが言った。  伊織絡みの話だとは察していたけれど、プロポーズをする宣言だとは思っていなかった。 「それは……、おめでとうって言うべき? それとも、頑張れって言うべき?」 「あ、いえ。許可が……欲しかったんです」 「許可?」 「はい。情報売買の件で大詰めだって時に結婚なんて、伊織はきっと真っ先に仕事のことを考えると思うので」 「ああ……、なるほど」  伊織が迷った時、私が了承済みだと背中を押したいのだろう。  芹沢くんが、プロポーズを成功させるために必死なのがわかる。 「あなたたちの結婚が仕事に影響を及ぼすことはないわ」 「良かった」 「けど、それこそ仕事が落ち着いてからゆっくりプロポーズした方がいいんじゃないの?」  ウエイトレスがコーヒーを二つ、運んできた。  ウエイトレスは大学生か、もう少し上くらいで、若くて柔らかくて可愛らしい印象。彼女はあからさまに興味を持って芹沢くんを見ていた。  伊織も苦労するわね……。  そんな風に思う自分が、やけに年寄りっぽく思えて、落ち込む。  自分より一回り年下の子を『若い子』と表現してしまう時点で、年齢を感じた。 「今回の件がどういう結末を迎えても、伊織を一人で泣かせたくはないんです」  芹沢くんはウエイトレスには目もくれずに言った。 「とか……格好いいこと言って、本音は伊織は俺のものだってわかりやすく示したいだけなんですけど」 「誰に示したいの?」 「え?」  数秒、私の顔を見て、芹沢くんはハッとして、しまったと言わんばかりの苦い表情をした。 「深い意味はない、なんて誤魔化そうとしてもダメよ?」と言って、私はコーヒーをすすった。  目は芹沢くんから離さずに。 「伊織から……聞いてると思ったんですけど……」 「何を?」  芹沢くんが悔しそうにため息をつく。 「聞き逃してくれませんか?」 「ダメ」と、即答。 「――ですよねぇ……」  芹沢くんはもう一度ため息をついて、顔を上げた。 「情報売買の犯人の目的は、伊織への復讐だったんです」  芹沢くんは無駄な抵抗はせず、全て話してくれた。  情報売買の犯人が木島悟之であること。木島と伊織が過去に恋人関係にあったこと。木島は伊織から盗んだプログラムをSHIINAに売り込んで、伊織によって欠陥品だと証明されたこと。それを、未だに恨んでいること。木島が利用した椎名先輩の部下が妊娠していること。 「なるほどね……。だから、伊織はThemis《テミス》を使いたいとまで言ったのね」  全てを無に帰すため……か。 「話はわかったわ」 「すみません。本来は俺から報告すべきことでは――」  報告を怠ったと、私が伊織を叱るとでも思ったのか、しょげた声色の芹沢くんの言葉を遮った。 「寿退社は認めないわよ」 「え?」 「今回の件が片付いたら、伊織には重要な役職(ポスト)を準備しているの。だから、昔の男のことなんかさっさと忘れさせて」  芹沢くんは背筋を伸ばして言った。 「はい!」 「ところで、今日は私も芹沢くんにお願いがあるんだけど……」  私はおずおずと弁当箱の入ったバッグをテーブルに乗せた。
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