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秘密の海岸
君からの久しぶりの着信。
今頃になって……もしかしたら……なんて淡い期待は、陽炎のようにゆっくりと立ち昇ったあと、あっけないほどすぐに消えた。
「私、結婚するの。……久々に会わない?」
頭が、真っ白になりかける。
連絡をくれた嬉しさとは裏腹に、僕の言い草はひどいものだった。
「そうなんだ、おめでとう。……会ってどうするの?」
「悲しいこと、言うんだね」
僕だって言いたくないさ、という喉まで出かかった負け惜しみを、ぐっと飲み込む。
「来月にはこの町を出るから。一目、会っておきたくて」
あまりにも唐突な知らせの連続に、僕は動揺を隠すので精一杯だった。
「ずいぶん急だね。一年ぶり?」
「そのくらいかな。仕事は、どう?」
「順調だよ。これから重要な仕事も回ってくるみたいだから、ますます本腰入れないと、ってとこ」
「そう、よかった。……ねぇ、今から来れない?」
相変わらず、勝手な言い分だった。これほどまでに悲しい誘いの電話を、僕は未だかつて知らない。
「昔はよく行き来したね」
冷静ぶった口調が続く。
「……そうだね。海岸を一緒に散歩したくて」
なぜ今になって連絡してきたの?という言葉も、案の定絞り出せない。
「そうなんだ。わかった、準備したら向かうよ」
「うん、待ってる」
彼女と僕の家は目と鼻の先だ。自転車を飛ばしたら十分とかからない。
「じゃあ、あとで」
返事を待たずに、電話を切る。せめてもの抵抗だった。支度を済ませて外に出ると、しとしとと雨が降っているのに気付いた。家の前の舗装が甘い道路に自転車を出し、ゆっくりとペダルを漕ぎ出す。
ほんのり潮風が混じった、夏の始まりを思わせる、濡れたアスファルトの匂いがした。
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