ラベンダーの香る部屋

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 久々に訪れた君の部屋は、ラベンダーの香りで満たされていた。 「どうしたの? この香り……」  僕が尋ねると君は照れたように伏し目になって、 「彼氏がくれたの。これ……」と言って、机の片隅に置かれた何やら細い棒が沢山刺さった瓶を指差した。 「アロマの、リードディフューザーって言うんだって」  ラベンダーの香りが私にぴったりって言われたの、と嬉しそうに微笑む君。その様子を見た僕は、 「あっそう」と、素っ気なくあしらってしまった。暫しの沈黙が部屋に充満していく。  幼馴染の君とは、大学が別になったから生活が落ち着くまでの3か月くらい会わなかった。今日は久しぶりに曲を作るために君の部屋に集まったのだけれど――君に彼氏ができたなんて、知らなかった。君がそんなしおらしい表情をするだなんて、僕は知らなかった。 「ラベンダーの花言葉知ってる?」  続く沈黙が気まずくなって、僕は君に問いかけた。なぁに、と首をかしげる君。 「沈黙!」  僕は意地悪く笑ってやった。 「なにそれ、どういう意味~?」  君が頬を膨らまして、僕をバシッと叩く。 「だってお前。どっちかっつーと、やかましい方じゃん」  全然お前に似合ってないよと僕が言うと、君はうるさいと拗ねてしまった。いつも表情が転がる君――今は傷ついて少し悲しい顔をしている。そんな君に僕は、 「お前の彼氏、お前のこと全然分かってないよ」とは、言えなかった。  代わりに僕はボールペンでリズムを鳴らす。  僕は君が音楽を好きになったから、楽しそうにギターを弾いていたから、数年前に君を誘ってバンドをはじめた。君と同じ時を沢山過ごしたかったから。もっと君に近づきたかったから。  でも君はまた僕の知らない世界を見つけて、今度は僕を置いていってしまうんだろう? 君を捕まえることは難しい。  君はいつの間にか機嫌をなおして僕のリズムに合わせて楽しそうに揺れている。どんな歌詞にしようかと黒目を上げて考える様子はいつも通りで、僕は胸が苦しい。  だって君はどうせ、明日になればラベンダーの香りに包まれて、僕の知らない表情を彼氏に向けるんだろう? 「またねー!」  元気いっぱいに声を張り上げ、僕に大きく手を振る君に――、僕は背を向け一人暮らしの自室に帰る。薄暗くて寂しい空間がそこに広がっていた。薄墨の墨汁を一滴垂らしたようなやりきれなさを僕は掻き分け、電気もつけずにベッドの上に倒れこんだ。 「僕も全然……」  君のことを分かってないのか……。ぼやいた言葉はしかし布団に埋もれてくぐもるばかりで、僕はゴロンと仰向けになって息を繋いだ。視線の先の遠くもなくて近くもない天井――それが妙に孤独に感じて、僕は右腕で両目を覆い隠す。  生暖かな闇の中で服に染みた君の残り香が、仄かに香った……そんな気がした。  『献身的な愛』『期待』『あなたを待ってる』――ラベンダーの花言葉だ。  僕の方がピッタリじゃないかと思える言葉。でも君だって僕じゃない誰かに……ぼんやりとした考えが粛々と巡っていく。  君の部屋で作ったその日の曲は、ラベンダーの香りが染み付いた、知らない人の曲に思えて僕は全然好きにはなれない――。
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