たそがれ

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

たそがれ

 わたしの生まれ育った町の住宅街の、真ん中に三角形の一軒家が建った細いY字路の角には、雨天等を除くと毎日のようにおばさんの影が一つあった。  それも決まって夕暮れ時に立っている。  いつも薄暗くて、横切っても顔ははっきりと見えないが、サンダルを履きショルダーバッグをかけ、焦げ茶っぽいスカートと白い袖のないブラウスを着て黒い髪を後ろで縛っている、背丈は160㎝くらいの、30代か40代と思われる痩せた女性だった。他の服装もしていた気もするけれど、思い出せるのはそればかりだった。  遊びや塾の行き帰りにそこを通りかかると大抵見かけるので、知らず知らずのうちに気にするようになっていた。  その日は、蝉がうるさい七月の暑い日で、わたしは学校から帰るなりクラスメート数名と近所の公園へ出かけてくたくたになるまで駆け回り、その中でなかよしの二人と一緒に帰り路を歩いていた。  するといつものようにおばさんが立っているので、友達に、 「あのおばさん」と指さしながら言った。 「ねえ……あのおばさんいつもいない?」  すると友達の一人が、 「そういえばいつもいるね」と同調した。  もう一人は「そうだっけ?」と言って首を傾げていたが、わたしともう一人の友達がいるよいるよと言い立てると「確かにいたかも」としぶしぶ同意した。 「どこの人か知ってる?」 「知らなーい」と友達は言った。 「気になるの?」  訊かれて私はうなずいた。 「じゃあ声かけてみようよ」とおばさんを憶えていない方の友達が言ったので、わたしはびっくりしたけれど、怖気づいたと思われるのが恥ずかしくて、つい彼女に同調してしまった。  わたしたちはおばさんに近づいて行き、 「こんばんは」と軽い感じで挨拶をした。  すると、 「こんばんは」とあちらも返して来たので、わたしたちはお辞儀をして横を通り過ぎた。 少し行ってから友達が、 「顔見えた?」 「見えない」と言った。  わたしも友達と同様に見えなかった。ぎりぎりまで近づいたはずなのだけれど、夕暮れの弱い陽の光は助けてくれず、おばさんの顔は暗い影のまま視界から外れて行ってしまった。  来た道を振り返っておばさんを眺めてみるが、近づいても見えないものが、何十メートルも離れてしまってはいくら目を凝らしたところで意味はなかった。 「しょうがない、帰ろっか」とわたしは言った。  が、ふと気がついた。  わたしと帰り道が同じ友達などいなかった。  周囲を見渡すと、一緒に帰って来た友達二人は影も形もなくなっていた。わたしは気持ちが悪くなって半分泣きながら家路を急いだ。  またある日、駅前へ買い物に向かう途中、いつものようにY字路を通りかかると珍しくおばさんがいなかった。いないとかえって気にかかり、どうしたんだろうと思いながら角に立って見回していると、手前から女の子がやってきて挨拶をして来たのでこちらも挨拶を返した。  女の子がお辞儀をして去って行ったあと、わたしはふと気づいて振り返った。  あの女の子は三十年前のわたしだった。 <おわり>
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!