アジの開きと自家製塩辛の後で

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「燃やしてどうするの?」 「けじめだよ。さっき言ったじゃない」  缶の横にしゃがみ込んだ友里は、何度も同じことを聞く青木を訝しげに見上げた。 「例えばだ」  見上げた友里の視線から逃れるように、青木は友里の前にしゃがんだ。大きな体が少し窮屈そうに見えた。 「俺が早川さんと同じ立場だったとする。俺は友里のそばにいることはできない。そして、友里には別に好きな人ができた」  青木の長い指が、トマト缶の中の手紙の束に触れた。 「俺の送ったものは全て処分して欲しいと思うし、幸せになって欲しいと心の底から願って止まないと思う」  友里も同感だった。きっと宏樹も、そう思っているだろう。だからこそ、グランピングの夜に夢に出てきた。 「だけど、これは燃やす必要はない。指輪も海に返さなくていい」  頑丈に置けたと思ったトマト缶を、青木は片手で呆気なく引き抜いた。青木が立ち上がり、友里へと手を差し出した。  足に痺れ感じていた友里は、一瞬躊躇ったが青木の手を取り立ち上がった。青木のことばのせいで、心の中に突如として湧き上がった、モヤモヤした得体の知れない思いに友里は戸惑っていた。 「これを燃やし指輪を海に捨てたら、友里は後悔するよ」 「しないよ。決めたんだもん。けじめなのよ」 「けじめって、どんなけじめ?」 「だから、宏樹への思いを」  青木の瞳は、いつになく真面目で真剣だった。 「それは、誰のため?」 「そんなの……」  決まっているじゃない、青木くんのためだよ。  そう言おうとして、友里は息を呑んだ。体の奥が燃えているように熱くなった。全身の毛穴から汗が噴き出すような感覚に、友里は手で口を塞ぐと爪先に視線を落とした。  たぶん、いや絶対だ。青木と初めて出会ったときには、宏樹への思いにとっくにけじめはついていた。宏樹はもう戻らないであろう事実を受け入れていたし、一生一人で過ごす覚悟もどこかでできていた。  青木に出会い、宏樹以上に青木に惹かれた。  紛れもない真実を肯定し、心変わりをした自分を正当化するための「けじめ」だと、青木は見抜いていると思った。  宏樹との思い出を捨てて自分を正当化しようとする友里に対し、青木は喜んでくれているだろうか、それとも呆れているだろうか。  怖くて顔を上げるとことができなかった。
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