眠り姫はエリート王子に恋をする

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「主任、Y重工さんですけどぉ、藤堂さんが代わりに謝罪してくれて、なんとか許してもらえちゃいました!さっき、その報告がてら主任を起こしに伺ったんですぅ」  朗らかに笑いながら、「もうすぐ定時だったし」と伊藤が付け足す。 「藤堂が?」  冬夜が驚いて確認すると、伊藤がにっこり笑って「ハイ」と元気に頷く。 「勝手なことをしてすみません。謝罪は早い方がいいと思ったものですから、とりあえず担当者に連絡だけ入れさせてもらいました」  伊藤はニコニコと満面の笑みを浮かべているが、説明した本人はややばつの悪そうな顔で冬夜をちらりと伺い見ている。  本来ならば冬夜がやらなければならない事案に勝手に手を出したことを、申し訳なく思っているのだろう。 「……小沢に説教する前に俺が電話いれたけど、出てもらえなかったよ?」  午前中にと指定されていた書類を新人の小沢が届けにいかなかったことを知った時、なによりもまず担当者へお詫びの電話を入れている。  改めて直接お詫びに伺う、という事を伝えるだけの電話だったが、それすらも取り次いでもらえず、完全に怒らせたと思っていたのに。 「小沢が怒らせたの、Y重工の田崎さんですよね?以前担当してたお客さんなので、面識があるんです。で、ちょっとした裏技を使わせて頂きました」    藤堂が爽やかに、にっこりと笑った。  とりあえず席に戻りましょうか?と藤堂に促され、冬夜は頷いて自分のグループの島に戻る。  ひじ掛けのついた主任椅子に腰を下ろすと、藤堂が二つ離れた自分の席から書類の束を手に取り、冬夜の机に手を付いて覗き込むようにしながら、それを差し出した。    この男、その何気ないしぐさまでもがサマになりすぎている。  屈みこんだことで垂れ下がるネクタイを、鬱陶しそうに肩にかけるその姿まで、もしや計算されつくされているんじゃないかと思うほどに。 「どうやって攻略した?」  ハイ、と差し出された書類を受け取ってみれば、それは冬夜が小沢に持っていけと指示した契約書類に間違いなかった。  表紙には付箋で、『明日10時訪問、Y重工 田崎様』と藤堂の流れるような字でメモがつけられている。 「これ、内緒なんですが……田崎さんって、あのゴツイ見た目に反して実はスイーツに目がなくて」  苦笑まじりの藤堂の言葉に、冬夜は田崎を思い浮かべる。  Y重工の田崎といえば、幼児が見たら泣き出しそうな程威圧感のある、ものすごくごっついオジサンだ。  いつも不機嫌そうに眉を顰めている上、笑った顔など見たこともない。  鬼瓦のような顔のあの田崎が、スイーツ好き? 「俺自身は甘いものはあまり好きじゃないんですが、うちの姉と母が極度の甘党なので、新作スイーツの情報はいち早くキャッチしてくるんです。で、田崎さん担当させてもらってた時は、姉たちから仕入れたその情報を田崎さんにも流してまして……」  田崎さんの中では、俺はスイーツに詳しいスイーツ仲間に認定されてるんです、と、藤堂が少し恥ずかしそうに笑う。 「瀬川さんが倒れた後、何気ない様子を装って田崎さんの携帯に電話したんです。丁度秋のスイーツが盛りだくさんで、おすすめがあるんですけどって。そしたら、今日おまえのところの新人が来なかったぞ!っていう話をあちらから振ってくれて」  おそらく田崎も、藤堂が業務時間内にわざわざスイーツ情報の件だけで電話をしてきたのではないぐらいわかっていたことだろう。  取引相手に謝罪の機会を与えることは重要だが、しかしすんなりと許すのでは怒りのおさまりどころがない。  一度は謝罪をつっぱね、どうしようかと考えあぐねていた所へ来たのが藤堂からの電話で、田崎もこれ幸いにと飛びついたのに違いなかった。   「とりあえず明日、『瀬川が小沢を連れてお詫びに伺います』って勝手に伝えちゃいましたけど、よかったですか?スケジュール、瀬川さん午前中空きになってましたし」  ちなみに今日は出張で一日中いなかったことになってますから、話合わせておいて下さいね!と言われる。  出張だったことに偽りはないが、古巣の事業部に会議で半日戻っていただけだ。  戻った途端に倒れたことで午後の時間をまるっと潰してしまったのを、藤堂がうまくごまかしてくれたのだろう。 「助かった。ありがとう、藤堂」  藤堂のおかげでトラブルに迅速に対応することができ、客先ともこじれることなく済みそうだ。  冬夜が素直に礼を言うと、「いいえ」と藤堂が目元を緩める。 「実はそんなに急ぎの書類でもなかったらしくて、田崎さんも急かして悪かったと思ってるみたいですよ?ただ、小沢が約束の時間に来なかったっていうのが腹立たしかっただけで」  お詫びにうちのノベルティーグッズ持って行ってあげて下さい。あの人、かわいいものも大好きですから、と、笑いながら藤堂が付け加える。    Kカンパニーのキャラクターは、ふわふわウサギちゃんだ。  あんなものを持って行って本当にお詫びになるのか?と疑いながら藤堂を見るが、別に冗談で言ったわけではないらしく、訂正する様子はなかった。 「ちなみに小沢の奴は、総務にお使いに出しましたから。こんな定時ギリギリに、たんまり社印をもらう書類を押し付けたんで、今頃総務の課長にこってり嫌味言われてると思いますよ」  一転して人の悪い笑みをニヤリと浮かべる藤堂に、冬夜もつい、くすっと笑ってしまう。    総務の課長の嫌味癖は有名で、契約書類に押す社印をもらってくるのは、社内では嫌われ仕事の一つになっている。  あまりにみんなが嫌がるので自らおもむくこともある冬夜だが、あの課長の嫌味は感心するほど途切れず、ある意味感心するほど程の不快感をこちらに与え続けてくれる。  ただでさえ面倒な仕事を嫌う小沢に一体どうやって押し付けたのかは知らないが、さすがは藤堂。見事な手腕だ。  小沢もちょっとはこれで反省してくれるとよいのだけれど、と新人の成長に一縷の望みを抱き、書類をスーツケースにしまい込む。 「ところで瀬川さん……」  報告は済んだというのに一向に立ち去る様子のない藤堂を不審に思い見上げると、王子様顔がちょっと困ったようにこちらを見ていた。 「それ、俺の上着なんで、そろそろ……」 「あっ……」  藤堂の指さす先にあるのは、冬夜が私物化してしっかり握りしめていた藤堂の上着だ。  礼を言いながら慌てて返すと、藤堂が「どういたしまして」と優雅に目を伏せた。 「更衣室、寒くなかったですか?」 「あ、うん。おかげさまで。ありがとう」  藤堂は上着を受け取ると、そのままばさりと音をたてて袖を通した。  冬夜と隣席に座っていた伊藤は、二人で思わずそれを目で追ってしまう。  この男のスーツの羽織り方は、おそらく誰も真似できない。  なんというか、こう、無性にかっこいいのだ。男の冬夜でも見惚れてしまう程に。 「あ……」  ふと、藤堂が羽織った上着の襟元をつまみあげて、微かに声を上げる。 「なっ、なに?」  もしや、上掛けにしているうちにヨダレでも垂らしてしまっただろうか、と冬夜がドキリと身をすくめると、藤堂がなんでもありません、とふっと笑う。 「瀬川さんの……匂いが移ってる」  かすかに呟きながら、魅惑的な微笑みを浮かべて席に戻っていく藤堂の後姿に、伊藤と二人、顔を見合わせて心の中でぎゃーっと悲鳴を上げた。    ダメだ!イケメンすぎる!  あんなこと言われたら、男の冬夜でも「今すぐ抱いてください!」と口にしてしまいかねない。  現に伊藤は完全ノックダウンされて、赤くなった顔を両手で覆い、きゃわきゃわと足をジタバタさせていた。  第一営業部のプリンス、恐るべし。  そこまでかっこいいくせに、仕事もできるなんて反則すぎる。    心の叫びが外に漏れ出ぬように必死に呼吸を整えながら、冬夜は冷たいデスクに顔を突っ伏して、真っ赤に染まった顔の熱を冷ますことに専念した。   
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