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「あらさっそく来てくれたの」  承子は相変わらず紫色の着物だが一輪挿しのような桔梗の花柄が左肩と膝当たりにあった。通された座敷では丁度良いわとさっき檀家の人が持って来てくれた五色豆を「どうぞ召し上がれ」と出して今お茶を煎れますからと急須から湯飲み茶わんに袖の袂を押さえて注いで二人の前に置いてくれた。それが絵になった。  一口そそると得も言われぬ味が喉を通った。 「どおぉ、新茶のお味は」  承子も湯飲み茶わんを両手に抱えて一口付けてから尋ねた  結構なお味でと真美は茶道のお点前のように応えた。それを観て仁科は笑いを堪えた  お似合いなのねと承子が言うととんでもないと真美は否定した。  あらっ、そうかしらと承子が(しと)やかに笑うと。 「ただの友達です! 」と真美が素早く言い返した。 「じゃあ仲のいいお友達ね仁科さん一人では難しいと複写のお手伝いに来られたのでしょう」 「そう彼が闇雲に複写をしても仕方がないでしょう」 「じゃあ衣川さんは古文書の価値がお解りなのね、当時の書き物は昔の暮らしの状態が分かるからけして無駄な文書はないのですよ」 「でもこの前は先生に証文とか借用書ばかりだと嘆いていたでしょう」  鋭い質問と承子は袖で口元を隠して微笑んだ。 「それは江戸時代の安定したときですから問題が少ないですけど、不安定な戦国時代だとどんな些細な証文でも争い事の種になり得ますから。それにその年の米の出来具合も解るでしょうそれによって争い事も起こる。戦乱の種はそう云う小さいところから起こりますからどんな些細な証文からも目をそらさないようにして欲しいのです」  と言いくるめられた。  さっそく奥の書庫でこの前に整理したところから複写を始める。先ずは一枚を手に取るが日付も場所も名前らしきものはなかった。ひと目見てこれは大した物ではないんではと思うと複写が無駄に思えてきた。そうなると何処から手を付けて良いか解らない。 「真美ちゃんは古文書は少しは読めるんでしよう」と助けを求めた。 「あたしも自信は無いけど岩佐先生によると字の書き順を憶えなさいって云うのよ」 「書き順書き順と言うが他に手立てはないのかトホホ」と指をなぞってみた。 「そうなの、そうなぞって行くとそこそこの崩し字は解明できる。仁科くんもペンでなく毛筆でペン並みに書こうとすればこんな字になってくるわよ」  久し振りに真美ちゃんに褒められると有頂天になってくる。   ゆきくれて()の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし  仁科が埋もれていた古文書の棚からこんな感じかと何気なく抜き取った文書を読んだ。 「それって薩摩守忠度(さつまのかみただのり)の辞世の歌じゃないの鎧の袖にしたためて布に書いたいたものだから模写に違いないけどでも凄い誰が書いたの、何処にあったの」と慌てて真美が傍に寄って来た。  ここと仁科が指摘した場所は最近になって無造作に置かれて所だった。しかも紙も習字の書道半紙みたいで新しすぎた。こんなとこに置くなと丸めてほかした。  そこへ散らかさないでと承子がやって来た。え! 今始めたばかりなのにと突然の来訪に二人は驚いた。 「衣川さんあなたは佐久間さんをご存知ですか? 」 「はい? あたし知る限りではバイト先の家庭教師の奥さんがそんな名前の人です」 「そうその人がこの寺へ助けを求めて来ました。知ってる人かどうか確かめて欲しいの。もしその人なら衣川さんあなたお話を聞いてくれませんか」  二人は部屋へ戻るとそこには四十代で血相を変えた女が居た。ひと目見て佐久間さんだと解った。向こうも安堵して表情を緩めた。 「佐久間さんどうしてここへ? 」 「真美ちゃん、会えてよかった」  佐久間は再び眉間にしわ寄せて険しい顔に戻った。 「真美ちゃんはうちの主人には最初の時にお目に掛かっただけでしかも言葉も少ないから印象が薄いでしょうけれどあれでかなり傲慢な性格なんです」  ーー娘の教育で真美ちゃんが家庭教師に来てから娘が余り物怖じしなくなった。それは頼もしいとあたしは思った。でも公務員の主人は窓口で市民から受ける抗議に頭を下げるのが気にくわない。それで家ではその反動で傲慢な性格に変わるんです。だから従順な娘はあたしと違って可愛かった。それが最近は反抗的になってとあたしに暴力を振る様になってもう限界でした。そこで相談したいと大学でやっとあなたを見付けましたがお一人じゃないのでここまで後をつけてきました。
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