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 仁科は講師の岩佐先生に指示された薬草を持って翌日にはさっそく大学のサークルにやって来た。驚いた事にサークルの誰もがそんな講師の嗜好を知らなかった。これにはみんなより仁科の方がどうなってんのと驚いた。  この日の話題は大学の近くにそんな古い寺があるとはほとんどの大学生が知らなかった。だが知る人ぞ知る隠れた古刹らしい。ましてやそんな寺の薬草園の存在すら初耳だった。それよりも新しい住職が若い女性だと云う方に話題が偏った。でも地元で暮らして居る者には桔梗の花が咲き乱れる寺として知られていた。  山間部に在るこの大学は平らな所が少なく、従って建物と建物の間を階段でつないでいる。だから建物の上階にある歴史研究サークルの部屋からは見晴らしが良かった。校門から直線だと僅かだが高低差がある分だけ体力を必要とした。これは歴史研究は自分の足で調べろと云う岩佐先生のありがたい教えだった。その部屋に今日は山本を除くみんなと云っても六人が集まっていた。 「どうでしたの例の寺は、裏山に本当に先生が言うような薬草が自生しているんでしょうか?」  サークルで真っ先に聴いて来た人が真美だったのが仁科には天にも昇る心地だった。  そう云えばサークル仲間の衣川真美(きぬがわまみ)は目許が土岐承子(ときしょうこ)に似ていた。彼女は歴史好きの言わば歴女だ。  岩佐は歴史研究サークルの顧問でその北方寺(きたかたじ)の檀家でもあった。それにあの寺にはかなりの古文書が収録された部屋があり、その整理もこの歴史研究サークルの仕事でもあった。しかし以前の住職は口うるさくて学生から煙たがられて顧問の岩佐先生以外は余り行かない。それにあの寺男も気にくわないようで例外は衣川真美だろう。その彼女も先生が来られないときだけ代理でどうしても調べたい古文書を見に行っていた。 「今じゃあの寺をよく知っているのは真美ちゃんと先生だけだよね、その真美ちゃんでも薬草園は知らなかったんだ」 「だって玄関から古文書のある奥の部屋まで真っ直ぐ行ってメモして帰るだけだもん」 「それだけ」 「それだけ、だって見てもよく分からないから先生に指示されたところだけチェックしてあとで先生が確認しに行くの」  この歴史研究サークルは全部で七人しかいなかった。女二人男五人で、この日集まったのは六人だった。そのメンバーから代替わりした寺の様子を見に行くのは仁科が最初だった。  顧問の岩佐先生がやって来ると私語は遠退いた。  岩佐は薬草を持ち帰った仁科から寺の話を聞いて代替わりした新しい住職に関心を持った。 「ほうそんな若いんか、しかも魅力的な女が後釜に納まるやなんてそんな話は聞いてへんさかい歳は聴かなんだ。どうせ寺を任されるのやさかいそこそこの年季の入ったおばはんやと思っていたがそりゃ今度挨拶に行かんとあかんなあ」  と岩佐は持ち帰った薬草などそっちのけで根掘り葉掘り女の事を訊いた。  これを聴いた歴史研究サークルの面々も特に女性に恵まれない男子学生は先生に劣らず関心を寄せた。また鼻の下を伸ばしてと二人の女子大生に言われては話を持ち帰った薬草に変える必要に迫られた。しかし薬草の話は続かずまた女の話に戻った。 「あの寺の先代の住職とは長年の付き合いで懇意にしているから代替わりしたのであれば挨拶に行くのは当然、とはいえ寺自体には変わりはないから仁科の話から歴史研究は今までどおり活動して差し支えあるまい」  どうしても話しがそっちへ行くから仁科は持ち帰った薬草をさっさと先生に渡した。岩佐はそれを確認するでもなく段ボール箱にしまい込んで隅に置いた。何なのそれはと呆気に取られた仁科はそこで気を惹かす質問をした。 「でも恋煩いの薬草なんて先生は聞いた事ありますか」 「何じゃそれは ?」  薬草をしまい込んだ岩佐が今度は逆に呆気に取られた。 「土岐承子さんから伺いました」 「土岐承子となあ、そりゃ俗名だなあ、住職じゃないなあ。誰だそれは」  ハァと仁科は引けてしまった。
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