時を止めたお屋敷

1/2
21人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
「ふぅん」  この屋敷の唯一にして絶対であるご主人様は寝台に浅く腰かけ、長く艶やかな黒髪に櫛を通しながら呟いた。まるで絵画から抜け出たような完璧な美貌を誇る彼女は、まだ十代にさえ見えるがその黒檀のような瞳には老獪な光が宿っている。 「いいでしょう。話を聞きますよ、ウィシュ」  私はご主人様の言葉に驚きを隠せなかった。 「でも後よ。少し休むから下がっていいわ」 「はい、ご主人様」  この屋敷にメイドとして仕えるようになってからもう随分経つ。主の気質はよく理解しているつもりだ。これ以上の長居はよくない。一礼しそそくさと退室した。 (しかしまぁ何という面倒事が起きてしまったものかしら)  思わずため息をつき今朝のことを思い出す。何とこの閉ざされた屋敷に一匹の子猫が迷いこんだのだ。あり得ないことである。そして更にあり得ないことにその珍客を抱き上げて追い出そうとした庭師のバストと、ホープという占い師の若者がこの猫を取り合ったのだ。この屋敷内で(いさか)いが起こるなど考えられない。しかもホープはその子猫のことでご主人様に聞いてもらいたいことがあるなどと言い出した。 (あり得ない、あり得ない)  この屋敷では従者自らがご主人様に目通り願うことなどあり得ないのだ。でもホープは頑として譲らない。そこで私はご主人様にこのことを報告しにきたというわけだ。この屋敷で起きたことを報告するのは私の大切な役目なのだから。絶対却下されるに決まっている、そう思いつつご主人様にホープの願いを伝えると、何とご主人様はホープの話を聞いてくださるという。ひとまず私の役目は終わった。  しかしこのホープというのは占い師であるなどと喧伝(けんでん)しているが私はただのペテン師だと思っている。だってこの屋敷に来てから一度も占っている姿など見たことがないのだから。だが、ご主人様はなぜか彼を気に入っているようで屋敷から追い出そうとはしない。彼は唯一この屋敷に“後からやってきた者”だ。彼が来たのはいつのことだったろう。昨日だったのか一年前か、はたまた十年、いやひょっとしたら百年前なのか。無論わかる者はいない。なにせこの屋敷には時の流れというものが存在しないのだから。一日の移り変わりはある。日は昇りそして沈む。だが訪れるのは明日ではない、再び同じ“今日”がやってくるのだ。ここに住まう者は毎日毎日その“今日”を繰り返す。昨日もなければ明日もない。それはある意味とても“調和のとれた”状態だった。人々は老いることも死ぬこともない。  ご主人様はこの調和が乱れることをひどく嫌う。調和を乱そうとしたホープは追放されるかもしれない。私は再びため息をついた。いつの間にかあの栗毛の若者を、ペテン師に違いないあの若者を気に入っていたとでもいうのだろうか。屋敷の他の使用人とは少し違った雰囲気を持つ彼なら何かを変えてくれるかもしれない、そう期待していたのだろうか。私は力なく首を横に振った。それも全てご主人様が午睡(ごすい)から覚めホープと言葉を交わせばわかることだ。 「ウィシュさん」  不意に呼び止められ驚いて振り向く。そこにはホープその人がいた。 「あぁ、ホープさん、ご主人様は話を聞いてくださるそうですよ」  その言葉にホープは破顔する。 「あぁ、よかった。今日はきっと特別な“今日”になりますよ」  屈託のない笑顔に少々ドキリとさせられつつも曖昧に頷き私はその場を後にした。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!