時を止めたお屋敷

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「入るがいい」  午睡(ごすい)から目覚めたご主人様に招じられホープが部屋に足を踏み入れる。私はその様子を固唾を呑んで見守っていた。ホープの腕の中で真っ白な子猫がもぞもぞと動いている。子猫を見てご主人様の瞳が大きく見開かれた。その様子を満足気に眺めつつホープは語り出す。 「この子猫の名はウィール。かつてこのお屋敷にいた猫が産んだ子供の子供の子供の……ずぅっと子供でございます」  ご主人様はホープのこのいささかふざけたような説明に怒るでもなくたいそう驚いた様子で椅子から立ち上がった。その目は子猫に釘付けである。ホープは話を続けた。 「私はこの“時を止めたお屋敷”の噂を聞いたとき、そんなものがあるはずないと思いました。だが腕のいい占い師だった祖母に言われたのです。お屋敷は確かに存在する、と。そしてお前こそがお屋敷に再び時の流れをもたらすのだ、と。今こそその使命を果たすときでございます」  ホープはそう言って子猫を床に下ろした。 「お主、なぜ我が愛してやまなかった猫のことを知っておる。あれはもう何百年も前のことになろう。我は突然彼女を喪ってしまった悲しみにこの屋敷の時を止めた。彼女のいない明日など来ずともよい、そう思ったからじゃ」  ホープは痛ましげにその目を伏せる。 「誤解だったのです」 「誤解じゃと?」  語気鋭く尋ねられたホープは一つ頷いて続けた。 「あの日、ご主人様の猫が姿を消してしまったあの日、結婚が決まった下働きの女が屋敷を去ったこと、覚えておられるでしょうか」  ご主人様は少し考えるような仕草をした後、ポンと両手を打ち合わせた。 「ああ、確かにそんなことがあったな。皆で盛大に見送ったものじゃ。それがどういう関係がある?」  ホープはしばらく言いにくそうにしていたが先を促され口を開いた。 「家に着いた下働きの女はたいそう驚いたそうです。何と彼女の持っていた大きな篭の中にお屋敷の猫がすっぽりと収まりすやすやと寝息をたてていたのですから」  猫は狭い場所を好む。いつの間にか入り込んでしまったのだろう。だがそうとは知らないお屋敷の人々は猫の姿が見えないことに気付き大騒ぎとなった。突然姿を消してしまうなんてきっと自分のことを嫌いになってしまったに違いない、時の魔女である屋敷の女主人はそう勘違いをし悲しみの余りその強大な魔力で屋敷の時を止めてしまった。そうして屋敷は永遠に時の狭間を移ろうこととなったのである。 「おお、そうじゃったのか。ではこのお屋敷が嫌で出て行ってしまったわけではなかったのじゃな。しかも子を成しておったのか。これがその子孫とな。うむ、確かにそっくりじゃ」  ご主人様は子猫を抱き上げると(いとお)しそうに頬ずりをした。猫はクルクルと喉を鳴らしている。ホープはその様子を見て満足げに微笑むと一礼して部屋を出た。 「待って」  私は慌てて後を追いホープを呼び止めた。 「どうしてあなたのお婆さまはご主人様の猫の話を知っていたの?」  するとホープは片目をつぶってこう答えた。 「猫を連れ帰っちまった下働きの女ってのがうちの曾曾曾曾曾……婆ちゃんてわけさ。ご主人様がそれはもう大切に育てていた猫を連れてきちまった。もちろんすぐに返そうとしたらしい。だが目を離した隙に猫は逃げ出しちまった。じきに見つかったらしいんだが……」 「返さなかったの?」 「二匹で戻ってきたんだとよ。彼氏ができたってわけだ。しかも妊娠していてお腹が大きい。すぐお屋敷に連れていくこともできないので、まずは事情を知らせるため屋敷に手紙を出したらしいんだ。でもあいにくの荒天続きでどうやら手紙は屋敷に届かなかったらしい。そうこうしているうちにお屋敷は今みたいな様子になっちまって誰もお屋敷を見つけることはできなくなってしまった、というわけだ」  次に私は一番疑問に思ったことを尋ねた。 「あなたは猫が偶然迷いこんでくるのをずっと待っていたっていうの? しかもお屋敷にいた猫の子孫が迷いこんでくるのを? それなら最初から猫を連れてこの屋敷に来ればよかったんじゃない?」  するとホープはクスクスと笑った。 「そう思うだろ? ところがさ、婆ちゃんの占いによればお屋敷にいた猫の子孫ならどの猫でもいいってわけじゃないらしくて。あのときの猫の生まれ変わりじゃないとダメなんだって。だからお前はお屋敷でその時を待てってさ。ひでえ話だろ? でも婆ちゃんに言わせれば、ようやくご主人様に大切な預かりものをお返しする名誉ある役目を果たせるんだから光栄に思えってことらしい」  呆れ顔で見ている私にホープは言う。 「まあでもよかったよ。これでやっとこのお屋敷にも“明日”が訪れるんだから」 「そうかしら?」  首を傾げる私に彼は妙に自身ありげに頷いた。 「もちろん。だってご主人様はあの猫の成長を見たいと思うはずだからね。だからあの猫の名前はウィール。運命の輪(ウィール・オブ・フォーチュン)のウィール。あの猫の訪れと共に運命の輪は回り出すのさ」  私は先ほどのご主人様の様子を思い出した。子猫を抱いたご主人様の瞳には数百年ぶりに希望の光が宿っていた。 「うん、そうね、きっとそう。ようやくこのお屋敷にも“明日”が訪れるんだわ」  私とホープは微笑んで頷き合い互いに手と手を取り合った。この長い長い廊下はきっと希望に満ちた明日へと続いている、そんな気持ちを胸に私達はゆっくりと歩き出した。 おしまい
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