門扉

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驚いたことに、湯浅が続けて言葉を発してきた。 「法に基づいて『トクテンケン』をするには条件があるだろう。俺たちは未だ、病院施設内へ立ち入ることは出来ない」 トクテンケンとは「クローン規制法に基づく特定保健衛生調査官による特別点検、およびクローン取締法に基づく諸権利の行使」を縮めた略語である。 湯浅にしては、めずらしく丁寧な状況説明だ。黒田は思わず、上司の顔をのぞき見た。額から垂れた汗が目に入る。またハンカチで拭う。今度は頭頂部の汗も、しっかり拭いた。 「緊張しているのか」 予想もしない言葉に、あわてた黒田は反射的に、「えっ」と、聞き返してしまった。相手は片方の眉を吊り上げて、沈黙のまま、返事を待っている。 「実際に保護対象者がいるトクテンケンは、初めてです」 違法な複製人間作製事件は数年来、発生していなかった。情報によると、二海病院内には保護の対象となる被害者がいるらしい。黒田は今日、トクテンケンのうちでも、最も深刻な場面に立ち会うかもしれないのだ。 湯浅は鼻から、「ふうむ」と抜ける低い音を立て、右手の親指をあごに当てた。 「まだ1年目だからな。気持ちは分からんでもない」 指先があごを撫でる。半日分、伸びた髭が音を立て、それが黒田の耳に届いた。 「こう考えてみたら、どうだろう。これは黒田さんが将来、何百回と実施するトクテンケンのうちの1回だ。去年の9月に入署してから、業務のたびに毎回、初めての要素があっただろう。最初の1回だけが特別ではない。普段どおり、職務をこなせばいい」 「そういうものでしょうか」 「気を緩めず、訓練所で教えられたとおりにやればいいんだ」 湯浅は警視庁から転職してきたトクホの第1期生で、現職の刑事だった頃は「不動の湯浅」と呼ばれ、恐れられていたらしい。トクホでは訓練教官や審査官も務めたベテランだ。 上司の低く腹に響く声には、聞く者の精神を安定させる効果があるらしい。黒田の肩から力が抜けた。驚くべきことに、汗も引いてきた。ネクタイを正して、ふっと息を吐く。 佐伯からの連絡を待つ。今はそれが、彼の為すべき仕事だった。
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