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ドッグフードがもう一度、床を滑っていく。遠雷が、ふたたび聞こえた。今度は驚くほど短い時間で食事は終わり、生き物が床に倒れる音がした。
いつの間にか息を詰めていたらしい。黒田は悪臭を避け、口から思いきり息を吐いて、吸った。こちら側に戻ってきた上司に声をかける。
「眠ったんですか」
「あゝ」
「どんな奴らですか」
湯浅は溜息をつき、鞄を手渡すように手真似した。
「袋の口は、俺が開けておく」
黒田はおそるおそる中を覗きこんだ。ドアの向こうもまた、同じような通路だったが、左手には地下へ下りる階段があった。胸の高さまでの壁が二メートルほどあり、その向こう側は下り口で、突き当たりは畳三畳分くらいの袋小路になっている。鼻が曲がるような臭気の澱みには、汚れた毛皮の山があった。
黒田は思わず、声を漏らした。
生きている合成生物を目の当たりにしたのは、初めてのことだ。ドッグフード缶の転がる床で寝息を立てて眠る熊のような番犬――彼の上司が対峙していた獣――には頭が三つあった。
床に倒れる獣の、いびつに膨らむ熊のような胴体、太い四本の脚、土佐犬に似た形状の頭部、まるでギリシャ神話に出てくる地獄の番犬のようだ。合成生物というよりも、「ケルベロス」と呼ぶ方が正しいのかもしれない。
眼の前にいるのは、存在してはならない生き物、法で禁止されているクローン合成獣だ。万が一の遺伝子汚染やクローン胚の流出を恐れて、たとえ研究目的であっても製造の許可が下りることはない。違反した場合、執行猶予なしで十年以上の懲役、と規定されているほどの重犯罪である。
過去の事例では、ケルベロスのように不自然な生物は二、三か月ほどしか生きていられないのだ。作成する際の技術的困難、必要とされる努力や費用を考えると、その結果はただひたすらに虚しい。
気がつくと、黒田は唇を噛んでいた。
今回、トクテンケンの目標は、二海病院の院長・二海愛照奈の検挙である。彼女自身も医者であり、先代院長の父から受け継いだ高いクローン技術が評判だ。
合成獣を惜しげもなく番犬として使用する院長は、いったい地下に何を隠しているのだろう。
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