番犬

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黒田は耳掛け式のイヤホンを装着すると、照明機能をオンにした。光の束が顔の向いた先を照らし出す。 獣が倒れている周囲の壁にはドアや窓は一切なく、鎖を固定するための金具が三箇所に設置されているだけだった。鎖が三筋、それぞれの首輪に伸びている。ちょうど階段の下り口に届く長さに調整されていたのだろう。壁や床の汚れは一定の範囲にとどまっていた。 他の侵入者対策の仕掛けがないか探っていると、作業を終えた湯浅が鞄を返してきた。黒田は中から携帯トーチを取り出し、イヤホン・ライトの電源を切る。 上司は合成獣(キメラ)の検分を始めた。苦しげな寝息を立てる獣の唾液や毛、血液のサンプルを手早く採取していく。 「課長、お伺いしたいのですが」 黒田の問いかけに、上司は答えなかった。彼の聞き方が悪い、ということだ。 「湯浅さん、聞いてもいいですか」 「あゝ」 黒田はつい、早口になった。 「この、ケルベロスは何のために作られたのでしょう。土佐犬(とさいぬ)を三頭購入した方が格段に安くて効率がいいはずです。ふたつ以上の頭を持つ生物の合成には、かなりの技術が必要だと聞いています。実際のところ、僕が資料で見た、過去の合成生物よりも出来が良い。マニアとかコレクターが高値で買いそうなのに、なぜ番犬なんかに使っているんでしょう」 「あゝ」 湯浅は採取した検体を専用のケースにしまい、蓋に電子タグを貼り付けてウェストバッグに収納した。休むことなく、佐伯や本部へ送信するために合成獣の撮影を始める。 「君が聞きたいのは、違うことではないかな」 黒田の口から、「あっ」と声が漏れた。気が急くあまり、思いついたまま、取り止めのないことを口にしていたようだ。本当に知りたかったのは、番犬のことではない。 「二海(ふたみ)院長のことです。事前調査の結果では、どう考えても複製人間(ヒト・クローン)や合成生物を作り出す人物には思えません」 「あゝ」 「でもここに、ケルベロスがいる。しかも飼育環境が劣悪です。湯浅さん、院長は何をしたいのでしょう」 「黒田さん。犯人の意図を酌むのは、やめた方がいい」 湯浅の声は、この場の空気よりも重く感じられた。 「だが現況を分析し、次を予測するのは良いことだ」 湯浅はそう言うと、イヤホンを指で押さえてトクホ専用の通話機能を起動した。
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