地底

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ドアには鍵がかかっていなかった。階段の上には番犬が待ち構えているので、ここから誰かが侵入したり、あるいは逃げ出したりという心配をしていない、ということだ。 「開けます」 「あゝ」 黒田は()()()のドアに右の肩と腕を当て、静かに押した。棚や機材などで塞がれてはいないようだ。3センチほど内側に開くと、隙間から暖色系の淡い光が漏れ、冷気が勢いよく外に流れ出してくる。早く中に入って涼みたい、という欲求が彼の胸に湧いた。口の中でゆっくり、1から7まで数え、(はや)る気持ちを押し殺す。 気のせいか、冷気の中には花のような甘い香りが漂っていた。 「院長は女性でしたね」 「あゝ」 湯浅は携帯トーチとイヤホン・ライトの電源を切った。黒田もそれに(なら)う。ふたりのいる空間が暗くなった。ドアの隙間から漏れ出す淡い光が、上司の顔を照らす。鷲鼻がまるで闇の中に灯ったようだった。彫りの深い横顔は、いつにも増して厳つい。 ドアに張り付いた姿勢のまま、押し開いていく。室内の空気がさらに流れ出て、甘い香りが鼻をくすぐった。 湯浅が室内に飛び込む。黒田の真後ろから斜めにドアの左側へ抜け、部屋の中央から左を確認する。彼はドアを体で押したまま部屋へ入り、右側を探った。 間接照明でほの暗い、60畳、いや100畳近くあると思われる部屋には、培養槽その他クローン製造関連の設備は見当たらない。それどころか机や椅子、棚などの調度品の類が一切なかった。10人は座ることが出来そうなソファが、一面に花柄の絨毯が敷かれた部屋の奥寄りに、ぽつんと置かれているだけだ。 ひらりと白い布のようなものがソファの辺りで翻り、壁に設けられたアーチへと消えていった。一瞬だったが、彼には白いドレスを着た女性、中学生くらいの少女に見えた。 「黒田、どうした」 「女性でしょうか。幽霊では、ありませんよね」 湯浅の怒声が飛んできた。 「何を言う。全員、人間だぞ」 少女が消えた壁のアーチから目を背け、振り返る。 黒田は上司の目の前にある、あまりに異様な光景に思わず、「あっ」と声を漏らした。
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