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二海愛照奈は淡いグレーのパンツスーツを着て、わずか30センチ弱の隙間に体をねじ込んでいる。まるで壁と壁の間に、挟まってしまったかのような状態だ。 黒田が引っ張り出そうとすると、院長は細身の手足を突っ張った。怒りと痛みで顔が歪む。 「離さないか、この馬鹿野郎。痛いから離せ」 口の汚さのせいで、小顔で知的と評判の美貌が台無しだった。男勝りの「父の娘」というよりは、まるで中年親父そのものだ。 「二海院長。おとなしく出てくれば、苦痛はありませんよ」 「分かったから、いちど離せ。離せ、離せよ」 喚き散らす院長を無視して、首を巡らせた。白い服の少女は彼の足元に、胸を押さえてしゃがみ込んでいる。背後にあるドアは彼が閉じてきたままだ。当面、問題はない。 力を込めて足を手繰り寄せると、院長は彼を怒鳴りつけた。 「痛い、危ねえだろ。怪我したら訴えるぞ、ハゲ」 佐伯がすかさず、「絶対に離すなよ」と、忠告してきた。言われずとも、身体的特徴をけなしてきた相手を許すはずがない。黒田は怒りを込めて足を手繰り寄せた。院長は細身の体で必死に抵抗したが、彼がふくらはぎの()()()めながら引くと、堪え切れずに片足で、たたらを踏むように飛び出てきた。 黒田は隠し扉の前に立ち塞がり、床のカーペットにくずおれた院長に声を掛ける。 「二海愛照奈(アテナ)さんですね。14時37分。暴行の現行犯で逮捕します」 あっさりとした幕引きに驚きつつも、彼は慎重に言葉を継いだ。 「またあなたには暴行および傷害、クローン規制法違反、人権法違反の容疑が掛けられています」 何度も想定訓練(イメージトレーニング)をしてきたが、いざ本番になると緊張する。たったこれだけの台詞で口の中が乾き、舌が口蓋に貼り付きそうだった。 逮捕の際に言わなければならない事項は(そら)んじている。弁護人の選任について説明しながら、彼は院長の様子を観察した。 あれほど抵抗し、騒いでいた彼女が嘘のように静かだ。白い服の少女も、必死になって院長に助けを求めていたことなど、なかったかのように大人しくなった。 黒田の全身から、緊張がほぐれていく。密告を受けての調査から、トクテンケン行使までに感じていた得体の知れない高揚感は、すでにない。突入して違法な合成獣(キメラ)を見たときの必死の思いと、二海愛照奈に対する怒りさえも、急速に萎んでいくようだ。 命を賭して任務を遂行し、己の信条を貫いて巨悪と対決する、そんなフィクションに憧れていたわけではない。想像する犯人像が、彼の中で肥大化し過ぎていただけ、現実を思い知らされただけなのだ。 湯浅には叱られるだろうが、彼はこの結末に拍子抜けしていた。
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