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黒田の曖昧な動作を返事と受け止めたのだろう、少女は彼の横から隙間に手を伸ばすと、大人の腰ほどの位置にあるスイッチを操作した。
白いワンピースの少女を横目で見る。間近で見ると、思わず息を飲むほど美しい顔立ちをしていた。人の価値は顔の美醜で決まるものではないし、彼は他人のそれについてとやかく言える立場にはない。ただ顔のパーツごとの美しさや、配置の絶妙さについて語るのならば、彼女には非の打ちどころがなかった。
少女が手を引っ込めると、圧搾空気が漏れる際のヒステリックな音が短く発せられ、開閉装置が作動する。わずか2秒で隠し扉は閉じた。壁は切れ目のないクロス張りにしか見えず、知らなければここに仕掛けがあるとは気付かないはずだ。
黒田はアーチの手前で立ち止まり、足をさすっている院長に追い付こうと歩き出した。
「黒田、あの子を調べたい。正面からの画像を送ってくれ」
佐伯が珍しく、命令口調で語り掛けてきた。可能ならば唾液や血液などの検体を採取して、データを送れという。そのためには任意の提出を求めるか、取り押さえて採取しなければならない。
「こちらは僕と湯浅さんしかいません。検体の採取はともかく、解析まではちょっと無理です」
「あの子には引っかかる点が多い。重大なことなんだ。是非、頼む」
たしかに院長発見と逮捕は、少女がいなければ成し得なかっただろう。彼女が一般人なら、この地階にいること自体がおかしいし、複製人間だとしても、知能の発達が大広間の女性たちと比べて格段に進んでいる点が尋常ではなかった。
「そんなに言うなら佐伯さん。ここへ来て、手伝って下さいよ」
彼としては、ほんのちょっと不満を口にしただけのつもりだった。ところが佐伯は、まったく予期しない返事をよこした。
「ごめん、黒ちゃん。そこに行くことは出来ない。たとえ行けても、役に立たないから」
佐伯の口から聞く言葉とは思えなかった。先輩は黒田よりひとつ年上なだけだが、「生意気だけど、あいつは天才だ」と、皆が口を揃えるほどの実力者だ。ときに、空気が読めていないのでは、と思うほど自信に満ちた言動をとることはあっても、後輩に弱音を吐くことはなかった。
「正面からの画像ですね。待っていて下さい」
黒田は何と言ってよいか分からず、すぐに出来そうなことを口にした。佐伯の意外な一面を見た気がして、先ほどの発言を謝って良いものか悪いものかも分からないからだ。
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